和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

恋の和歌 紅の花に染められたように、あなたを深く思っています ― 紅のはつ花染めの色ふかく思ひしこころ我忘れめや

くれなゐのはつ花染めの色ふかく思ひしこころ我忘れめや
  (古今集・恋歌四・題しらず・よみ人しらず・723)

 

現代語訳

紅花の、その紅色の初花で染めた色(のように心に)深く染められたこの恋を私が忘れることがあるでしょうか。(いいえ、忘れるはずがありません)

 

内容解説

序詞、という技法です。「くれなゐの初花染め」という言葉は恋心を表現するための比喩、たとえ話であって、紅花染めの何か特定の品物を指しているわけではありません。紅花染めってどんなのだっけとGoogle先生に聞いてみたら、最初は淡いピンクに染まって、何度も重ね染めを繰り返すことによって深い赤になるのだそうです。現代の染色と平安時代を比べることはできませんけれど、この時代の女性は貴族であっても自分たちで染色や裁縫をしていましたから、きっと身近なものだったのでしょう。まっさらな布を紅の水にひたすたびに桜色に桃色に鴇色に珊瑚色に薔薇色にそして紅に深く深く染まっていくように、心を染められるような思いなのだそうです。最後の「われ忘れめや」という響きの何ともいえないやわらかさ。

 

「我忘れめや」の「や」は疑問・反語の係助詞です。ここは反語で解釈しましょう。「私は忘れるだろうか。(いいえ忘れません)」となります。で、ですね、そこで止まらないでください。現代語訳はここで止まってよいのですが、解釈はもう一歩先まですすめてください。「私は忘れるでしょうか。(いいえ忘れません。たとえあなたが忘れたとしても)」でしょうか、「私は忘れるでしょうか。(いいえ忘れません。だからあなたも忘れないでください)」でしょうか。「我」と言っていても主題は「我」にとどまりません。恋歌って、そんなものなのです。

 

色を詠む和歌

雪の玉水、緑の松の戸 ― 山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

秋の月、水の輝き ― 石ばしる水のしら玉かず見えて清滝川にすめる月影

空がゆっくり明るくなって、桜も紅に染まってゆく ― 時のまもえやは目かれむ桜花うつろふ山の春のあけぼの

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冬の和歌 何もない一年でしたけれど、過ぎてゆくのは惜しいものです ― 思ひ出もなくて過ぎぬる年なれど今日の暮るるは惜しまるるかな

思ひ出もなくて過ぎぬる年なれど今日の暮るるは惜しまるるかな
   (田多民治集・としのくれ・藤原忠通・111)

 

現代語訳

(特別な)思い出もなくて過ぎてしまった一年だけれども、大晦日の今日が暮れ(てこの一年が今日で終わ)るのは惜しく思われるものだな。

 

内容解説

特に変り映えのない一年がまた過ぎていったよという意味なのですが、そもそも思い出もなくて過ぎて行く年なんてことがありうるのかどうか。いろいろあったことはあったけれど、思い返してみればとりたててこれというほどのものはなかった、ということなのでしょうか。思い返している自分の心があまりに静かだからそう感じるのでしょうか。一年も生きていればきっとなにかしらあったのです。なにかしらあったのだけれど、思い返せば静かな一年間だった。

 

明鏡止水、という言葉があります。鏡のように澄んだ心、水のように静かな心は全てを映して動じることがない。その人の一年にもきっといろいろなことがあって、でもその一年を振り返ってみると澄んだ水にうつる記憶のように穏やかに凪いでいる。ではこの世のことなどなんとでもなれと思っているかと言えばそうではなくて、「今日の暮るるは惜しまるるかな」、と、その一年が過ぎてゆくのが惜しい。

 

この一年に何があったとしても、それはしょせんこの世のことなのです。でも、しょせんこの世のひとつひとつが、人生だったのでしょう。穏やかな歌です。穏やかななかに、この一年を振り返る思いがこもる。こういう生き方をしてみたいものだと思います。

 

季節の終わる和歌

秋の色の、面影だけでも残るでしょうか - 心とめて草木の色もながめおかん面かげにだに秋や残ると

春のおわりの日 ― 何もせで花を見つつぞ暮らしつる今日をし春のかぎりと思へば

今年もまた終わりだと思うと、過ぎていった日々がたまらなく惜しく思われます ― 今年また暮れぬと思へばいまさらに過ぎし月日の惜しくもあるかな

 

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冬の和歌 冬の夜に迷う ― 空や海月や氷とさよちどり雲より波にこゑ迷ふなり

空や海月や氷とさよちどり雲より波にこゑ迷ふなり
   (千五百番歌合・冬二・藤原忠良・1919)

 

現代語訳

あの空と見えるものは海なのだろうか。(あの空に浮かぶ)月と見えるものは(海に浮かぶ氷)なのだろうかと、夜の千鳥が雲から波に、(あわれな)声をさまよわせているようだ。

 

内容解説

千鳥は冬の鳥。群れて仲間を呼びあう鳥です。その千鳥が、どうしたのでしょうか、凍てつく冬の寒空の下、風にさらされ雪にさらされ波の上をさまよっている。さまよううちに、広がる闇は空なのだろうか海なのだろうか、闇に光るあの月は海に浮かぶ氷なのではないだろうか。わたしは雲にいるのか波にいるのか、吹きすさぶ風に降りしきる雪に、空と海との区別もつかなくなって飛ぶうちに、冬の夜に迷い続けた千鳥はついにみずからの座標軸まで失ってしまったのです。

 

「声迷ふ」とあるからには千鳥の姿を目で追っているわけではなくて、千鳥の声だけが迷うように夜のかなたから響いてくるのを聞いている人がいる。千鳥の声は友を呼ぶ声。その声が迷っているということは仲間から返事が来ないのでしょう。本来群れで鳴く鳥とされているからこそ、ただ一羽鳴いている「友なし千鳥」はいっそう冬の夜のあわれを誘う。この千鳥も「友なし千鳥」ですが、それを聞いているこの人こそがたったひとりで冷たい夜をすごしている。

 

空か海か上か下かもわからないほどはてしなく広い暗闇の夜に自分だけが取り残されて、月か氷かしらじらとした光がさして、何も見えない、誰もいないとすました耳に、夜半の千鳥のさまよう声が寒々とひびく。ああ、あの千鳥もまた孤独なのかと。

 

冬の和歌

平安時代のあったかアイテム ― うれしくも友となりつつうづみ火の明け行く空になほ残りける

冬の朝はおふとんから出ないぞ! ― 冬さむみ霜さゆる夜も明けぬれどあさぶすまこそぬがれざりけれ

あなたでなくて、誰のことを想いましょうか ― 君ならでたれをか訪はむ雪のうちに思ひいづべき人しなければ 

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