和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

神の和歌 あなたがしあわせなら、それが何よりうれしいのです ― 思ひ出づや思ひぞ出づる春雨に涙とり添へ濡れし姿を

賀茂に常につかうまつりける女房の、久しく参らざりける、夢に、ゆふしでのきれに書きたりけるものを、直衣着たりける人の賜はせけるを見れば、
  思ひ出づや思ひぞ出づる春雨に涙とり添へ濡れし姿を
とありけるを見て、夢さめにけり。あはれと思ふほどに、手にものの握られたりけるを見ければ、ゆふしでのきれに、墨三十一付きたるにてあり。ことにあはれにめでたく、涙もとどまらずぞありける。
(今物語・二十九話/引用元:三木紀人『今物語 全訳注』講談社 1998.10)

English(英語で読む)

 

現代語訳

賀茂神社に(以前は)よくお参りしていた女房で、(このごろは)久しく参詣していなかった女房が、夢のなかで、木綿垂の切れに(何か)書いたものを、直衣を着た人がくださったのを見れば、
  (あなたは私を)思い出しますか。(私は)思い出しますよ。(私の社に参拝して、そぼ降る)春雨のころ、(雨に)涙を添えるように泣き濡れていたあなたの姿を。(だから、また訪ねていらっしゃい。)

と書いてあったのを見て、目を覚ました。しみじみと心を打たれながら、手に物を握らされているのを見たところ、(夢に見たとおりの)木綿垂の切れに、墨(の点を)三十一つけた(物)であった。ことのほか尊くすばらしくて、涙も止まらないことであった。

 

内容説明

宮中か、しかるべき貴族の家に仕えている女性でしょうか。彼女が、上賀茂神社とも下鴨神社とも書いてありませんが、そこによくお参りに行っては涙を流していた。なにかつらいこと、悲しいこと、神に訴えたいことがあったのでしょう。それが願いかなって、具体的なことは書かれていませんが泣くほどの状況は脱して、お参りにも足が遠のいた。という状況です。まあ、神頼みですからそういうこともあるでしょう。

 

寂しいのは神様の方ですね。しかしここで、「オレのおかげで幸せになったんじゃないの?礼は?礼は?」なんてことは言わない。夢の中に現われて、「あの頃のことを覚えていますか?わたしは今でもあなたのことを気にかけていますよ」と書かれた木綿垂、布の切れを手渡したわけです。はっと目を覚ましてみると、現実に自分が何かを手に持っていて、それは夢に見たとおりの木綿垂だった。ただ、文字は書かれておらず、墨の点がただ31個―和歌は31文字です―つけられていた。夢に神が、神の使いかもしれませんが、現われて歌を詠みかけてくれて、ただの夢ではなく、本当に歌をもらったのだという証拠に木綿垂の切れまでくれたわけです。それを見て、感動のあまり涙をおさえることができなかった。という話です。

 

何に感動したかって、現実に木綿垂を与える超常現象ももちろんですが、自分に祈りを捧げて泣いていた女性の望みを叶えて、彼女が離れていった後でも責めることなく、「今でもあなたを思い出しますよ」と言ってしまうあたりではないでしょうか。それもまた、つらい思いをしていた自分の、まああんまり思い出したくない姿をさして、春雨に濡れ涙にくれるたおやかな姿、とまで言ってしまうあたりが、また。
全ての神がこう優しいわけではなくて、不届き者に神罰を与える神もいます。そのなかで、また会いにいらっしゃいと言ってくれた賀茂の神は、この女房の心に忘れがたい印象を残したのでしょう。

 

と、いうわけで、そろそろ合格発表が出そろうころですね。おめでとうございます。合格祈願をした方はお礼もお忘れなく。

 

伝えたい和歌

 あなたでなくて、誰のことを想いましょうか ― 君ならでたれをか訪はむ雪のうちに思ひいづべき人しなければ

恋は春の霞のように ― おもひあまりそなたの空をながむればかすみをわけて春雨ぞふる

雪の抱擁 ― 梅の花降りおほふ雪を包み持ち君に見せむと取れば消につつ

 

 


古典文法解説と品詞分解は以下をご覧、になる前に、受験生たる者こういう文章をどうやって読むか。読んでるうちに話の筋が混乱するのをどうするか。
まずは、誰が何をしたかを把握してください。登場人物は誰と誰で、誰が何をしたのか。全ての文法は、誰が何をどうしたかを把握するためにあると、まずは考えてください。人の行動を表す動詞を全て、誰の行動か確定させること。

 

まずですね、「女房」がいますね。この女房が「賀茂に常につかうまつりける」であり、「久しく参らざりける」であり、夢に「思ひ出づや思ひぞ出づる春雨に涙とりそへぬれし姿をとありけるを見て、「夢さめにけり」。そして「あはれと思ふ」「手にものの握られたりけるを見(た)」。そして、「涙もとどまらず」となった。

もう一人の登場人物が「直衣着たりける人」です。彼の行動は「たまはせける」。何を?「ゆふしでのきれに書きたりけるものを」です。なぜこれが「直衣着たりける人」の行動なのか。それは、「直衣着たりける人」に、「たまはせける」という尊敬語が使われているからです。ほら、文法の話。女房には一切尊敬語が使われていないでしょ。女房に使われているのは「つかうまつりける」「参らざりける」という謙譲語です。この説話における「直衣着たりける人」の行動は、「たまはせける」ただひとつだと、この尊敬語から判断するわけです。

だれが何をどうしたか、まずはそれを考えてください。


それと、やっぱり慣れがあると思います。古文は現代人にはやはりなじみのないものですから、混乱するのは当たり前です。わたしは高校生のころ古文の現代語訳だけをざーっと読んでいました。参考書や問題集の解説に現代語訳がついています。現代語訳だけいくつも読むんです。古文は、いっそ読まなくてもよろしい。

 

たとえばこの説話だと、現代語訳を見てください。
賀茂神社に(以前は)よくお参りしていた女房で、(このごろは)久しく参詣していなかった女房が、夢のなかで、木綿垂の切れに(何か)書いたものを、直衣を着た人がくださったのを見れば、「(あなたは私を)思い出しますか。(私は)思い出しますよ。(私の社に参拝して、そぼ降る)春雨のころ、(雨に)涙を添えるように泣き濡れていたあなたの姿を。(だから、また訪ねていらっしゃい)」と書いてあったのを見て、目を覚ました。」
古文ではここまでが一文で書かれています。長い。現代語としては長くて、省略を補うかっこが多くて、わかりにくい。現代の小説であれば、3つか4つの文章に分けられているでしょう。かっこに補った省略部分も書かれているはずです。現代語で読んでわかりにくいものを古文で読んでわかるはずがない。現代語とは文章構造がまるきり違うのだから、途中で話がこんがらがるのはあたりまえです。

 

まずは現代語訳を読んで、古文の文章構造を把握することから始めてください。1ページほどの現代語訳を、そうですね、20作ほど読んでみてください。短い一文ではだめです。最低1ページほどの、物語か日記か説話のような長さのある文章です。授業で使っている教科書の現代語訳でも構いません。その場合は、先生が言う現代語訳を一語一句間違わず正確に書き取ること。アバウトな現代語訳では意味がない。聞き逃したら質問しましょう。正確な現代語訳を書き取って、それを何度も読んで、古文の文体の異質さに慣れることです。

大事なのは現代語訳を読みながら、現代に書かれた文章との構造上の違いを実感することです。ふだん読んでいる小説やファッション誌とは文体が全く違う異質さを実感し、その文体に慣れてください。古文はその文体で書かれています。その呼吸をつかまなくてはなりません。

英語と違って古文の現代語訳は語順の移動がほとんどありません。そのうえ、どの動詞をどう現代語訳するか、どの助動詞をどう現代語訳するか、どの敬語をどう現代語訳するかがほぼ決まっています。適宜、句読点や主語を補っていますがそれでももとの古文の形をできるだけ崩さずに現代語訳されているはずです。ですから、現代語訳を読めば、古文をどう読めばいいかが自ずと頭に入ってきます。

 

気が向いたら、現代語訳と古文をつきあわせて訳し方の検証をしてもよいですが、面倒ならかまいません。とりあえず、現代語訳だけ何度も読み返して、しみじみ変な文体だなと実感してください。古文の文体に慣れてくると、ああこういうつながり方をするんだろうなという呼吸がだんだんつかめてきます。Believe me.
(この方法は英語学習にはおすすめしません。SVOの語順なら、日本語訳ではSOVの順に直されていますので、英語の原型をほとんど留めていないからです。また、そもそも現代語でもあまり文章を読まないという方は、まず現代語の文章を読んでください。読まないものは書けるようにはなりませんし、古文の現代語訳はできるけれど現代語で自然な文章が書けないようでは、現代人としてはいかがなものかと。)


古典文法解説と品詞分解は以下をご覧ください。

 

ようやく、古典文法解説

―係助詞「や」・和歌の解釈・格助詞「の」・打消の助動詞「ず」・「に」の識別・直衣・敬語

○長いので、再録○
賀茂に常につかうまつりける女房の、久しく参らざりける、夢に、ゆふしでのきれに書きたりけるものを、直衣着たりける人の賜はせけるを見れば、
  思ひ出づや思ひぞ出づる春雨に涙とり添へ濡れし姿を
とありけるを見て、夢さめにけり。あはれと思ふほどに、手にものの握られたりけるを見ければ、ゆふしでのきれに、墨三十一付きたるにてあり。ことにあはれにめでたく、涙もとどまらずぞありける。
○ここまで○

では文法説明に。話が長いので最初に和歌だけやりますね。そのあとに散文部分をやります。

 

Q 「思ひ出づや」は疑問の係助詞ですか?

A そうです。
文法の教科書をみると、文末の終止形につく「や」を詠嘆の終助詞とする説もあるなんて書かれていますが、覚えられなければ無理することはありません。係助詞が文末に来ると係り結びを起こさないので、そういう説もあるのだな、くらいで。

 

Q 連体形「出づる」は、「や」の結びですか「ぞ」の結びですか?

A 「ぞ」です。強意の係り結びは「これが!こうなんだよ!」というメッセージです。「思いが!あふれ出るんだよ!」という強い訴えかけです。「出づる」は「思ひぞ」とセットですから、「思ひぞ」の結びです。ただ、強意の係助詞は現代語訳が難しい。無理だとおもったら無理をしなくてもかまいません。「係助詞+係助詞+結び」の形を見たら、もっとも近い係助詞の結び「係助詞/〔係助詞+結び〕」であることがほとんどだと思います。たぶんね。
それから、「出づる」は「や」の結びで連体形になっているので、「春雨」には接続しません。「思い出す春雨に」ではなくて、「思い出す。春雨に」と、いったん文章が切れます。係助詞がなくて連体形になっているならば、体言(名詞)「春雨」に接続するための連体形ですから、「思い出す春雨に」と訳します。

 

Q 「春雨に涙とり添へ濡れし姿を」が参拝していた女房の姿だなんて、わかるわけないのですが。

A それはそうでしょうね。彼女ができて、泣かれるまではわからないでしょうね。今のところは「春雨に涙とり添へ濡れし姿を、思ひぞ出づる」の倒置法だとわかれば十分です。現代語訳するときに、過去の助動詞「し」の連体形など忘れないように。「濡れる姿」ではなく、過去形の「濡れていた姿」という訳になります。


では、散文部分を。

Q 格助詞の「の」。

格助詞には①主格②連体修飾格③準体法(体言の代用)④同格⑤連用修飾格、がありましたね。以下の「の」はどれにあたるでしょうという問題です。

 「賀茂に常につかうまつりける女房【の】、久しく参らざりける、」
 「ゆふしで【の】きれ」
 「直衣着たりける人【の】たまはせける」
 「もの【の】握られたりけるを」
文法の教科書か古語辞典を開きながら聞いてください。

A 「賀茂に常につかうまつりける女房の、久しく参らざりける、」
同格の「の」というやつです。まずは現代語で見てみましょう。「フルーツが入ったパフェの、チョコアイス乗せたもの」と言いますね。この場合、話題になっているのはパフェです。そのパフェを、「フルーツが入った」と「チョコアイス乗せた」の2つとが同じレベルで修飾しています。どんなパフェかを2通り説明しているわけです。これが同格のかたち。

では、古語と比べて見てみましょう。
現代語「フルーツが入ったパフェ【の】、抹茶アイス乗せた〔もの〕が好き」を、
古語 「賀茂に常につかうまつりける女房【の】、久しく参らざりける〔 〕、」と比べた場合、パフェにあたるのが「女房」、「女房【の】」の【の】が同格、「フルーツが入った」と「チョコアイス乗せた」にあたるのが「賀茂に常につかうまつりける」と「久しく参らざりける」です。
現代語訳すると、「賀茂神社によくお参りしていた女房で、久しく参詣していなかった女房」となります。「女房」に対して「賀茂に常につかうまつりける」で、同時に「久しく参らざりける」女房だったと説明しているわけです。これが同格。「~な女房で、~な女房」という訳のパターンを覚えてください。同格はこのパターンで訳します。
パフェ例文との違い、わかりますか?古語では「久しく参らざりける〔 〕、」と言って「久しく参らざりける〔女房〕」とは言っていません。この、連体形でぶつっと切れているのが同格の特徴です。現代語だと「チョコアイス乗せた〔 〕が好き」とは言えません。「チョコアイス乗せた〔もの〕が好き」と言います。「参らざりける〔 〕」だと、「参らざりける〔誰〕」が、が抜けていますね。
と、言われても慣れないと見分けるのは難しいと思います。「~の、~なる/たる/ける」などの形を頭に入れておくといいでしょう。連体形って他に何の用法があったっけという方は、今開いている文法書か古語辞典で探してみてください。

……主格で解釈して、「女房が、久しく参らざりける夢」を見たんじゃないの?
――いやいや、久しく参拝しなかった夢を見たわけではありません。現実に久しく参拝していなかったからこそ神に心配してもらったのです。そう誤解してもしかたがないですが、読んでいくうちにつじつまが合わなくなったならば、それは誤読したということです。

A 「ものの握られたりけるを」これちょっと迷ったのですが、同格。「もので、握らされている(もの)」です。「もの」の説明を「の」以下に置き、「ける」という連体形(準体法)で止めています。
「ものが、握られている」と主格で解釈できないか。「もの」を主語にとって、「握られている」と受身で解釈できそうな。通じないことはないですが、「握られ」の「れ」=受身の助動詞「る」の連用形は女房に対する受身じゃないでしょうか。「女房が、手に、もので握らされている(もの)を見たら、ゆふしでのきれ」だった、と。
古文では無生物主語が受身になることが少ない。受身はほとんどの場合、人が~されたという文章になります。物が~されることは非常に少ない。ですから、無生物主語である「もの」が握られていたとするのは不自然。よって、これは「もの」を説明する同格の「の」。

○以下余談○
よくよく見ると、「あはれと思ふほどに、手にもの【の】握られたりける〔もの〕を見ければ、ゆふしでのきれに、墨三十一付きたる〔もの〕にてあり。」と2箇所「もの」の補充ができますが、前の「握られたりける〔もの〕」が同格だと思います。後半の「付きたる〔もの〕」は体言の省略による準体法と考えるべきかと。同格が2箇所にかかるなんてこともないかと思いますし。このあたり、国語学専攻でない人間の限界があります。すみません。
○ここまで○

とにかく、「名詞+の+連体形」を見たら同格の構文を疑ってください。主格もこの形になることがありますが、それは現代語訳を作ってみないとわかりません。同格であるかもしれないと疑いを持ってください。
世の中は広いもので、格助詞「の/が」を用いずに「名詞+連体形」だけで同格を表す構文もありますが、それはまあ高校古文の範囲外でしょう。なにはともあれ、「名詞+の+連体形」を見たら同格の可能性を考えてみてください。

○以下余談○
……格助詞「を」があるから連体形になっているんじゃないの?
――うーん、両方じゃないでしょうか。「握られたりける」と連体形にした時点で「握られたりける」は動詞ではなく名詞(体言)の役割をしています。「握られたりけるもの」という意味を含むからです。これを、体言(名詞)に準ずる用法、準体法と言います。文法の教科書に「連体形の用法」なんてページがないでしょうか。最初のほうにあると思いますが。「握られたりける」を体言(名詞)として扱うからこそ、体言に接続する格助詞「を」を置くことができるのです。
○ここまで○

A 「ゆふしでのきれ」
これは連体修飾格です。「紙の箱」「木の机」と一緒。現代語でもよく使うでしょ。「ゆふしで」も「きれ」も名詞ですね。上の言葉「ゆふしで」が下の体言(名詞)「きれ」を修飾しています。「ゆふしで」で作られた「きれ」という意味です。

A 「直衣着たりける人のたまはせけるを」
直衣(のうし、と読むのですよ)を着た人が、ゆふしでのきれをくれた、わけですから、主格です。「人」と「たまはせける」の間に主語述語の関係が成り立ちます。「たまはせける」は動詞だから、「人」の動作です。誰々が、何をした。というかたちになります。「たまはせける」が連体形(準体法)なのは、「たまはせける(もの)」が省略されているからです。これが主格。

○以下余談○
……「直衣着たりける人のたまはせけるを」と、「ものの握られたりけるを」と同じ形だよ?同格で「直衣着たりける人で、たまはせける人を見れば」と解釈できないの?
――できません。女房は「人」を見たわけではなく、「もの」を見たからです。「たまはせける」は「たまはせけるもの」を省略した連体形(準体法)であって、「人」を修飾する連体形(準体法)ではありません。
……だってだって、同じ形じゃないの!
――そうですね。結局のところ、主格か同格かは現代語訳してみないとわからないのです。
……いやいや、格がわからないから現代語訳ができないんだよ。現代語訳ができないと格がわからないんじゃ進まないよ。
――ごもっともです。そういう時はですね、両方の訳を作ってみるのです。そうすると、ここでは「直衣着たりける人」ではなく「たまはせけるもの」を見ていることがわかる。「人」を見たら顔面に和歌が書いてあったでは意味が通じませんから。
……現代語訳してもわからなかったら?
――そういうこともあります。主格でも同格でも訳せる。どちらも正解という文章もあります。両方で訳せると自信を持って言えるようなら、入試は大丈夫じゃないでしょうか。なぐさめにならない?
○ここまで○

 

Q 完了の助動詞「たり」の見分け方。

A 「たり」もけっこう多いですね。「書きたりけるもの」「着たりける」「握られたりける」。見分けは簡単です。「たり」の前が連用形だったら完了の助動詞「たり」。体言(名詞)なら断定の助動詞「たり」。上が漢語ならタリ活用形容動詞の終止形活用語尾。「書き」「着」「れ」が全て連用形ですから、ここは全部完了の助動詞です。

 

Q 「ざり」ってなんでしたっけ。

A なんでしたっけね。「参る」という動詞の下に付いているから助動詞じゃないでしょうか、とあたりをつけて、文法の教科書で助動詞の活用表を見てみましょう。表紙開けてすぐですよ。「ざり」見つかりました? 打消の助動詞「ず」というものがあります。「○・ず・ず・ぬ・ね・○」という活用と、「ざら・ざり・○・ざる・ざれ・ざれ」という活用と、2パターン書いてありますね。ことわざに「働かざる者食うべからず」などと残っている「ざり系列」の活用です。「ざり系列」は下に助動詞がくることが多い。「参らざりける」も、下に助動詞の「ける」があります。助動詞の「ける」ってなんでしたっけ。ついでに活用表で見ておきましょう。

 

Q 恐怖の大王「に」の識別にいきましょう。

「に」といえば、①完了の助動詞「ぬ」の連用形 ②断定の助動詞「なり」の連用形 ③ナリ活用形容動詞「○○なり」の連用形活用語尾 ④格助詞 ⑤接続助詞 ⑥副詞の一部です。文法の教科書か、古語辞典を見ながら読んでください。文法の教科書なら「まぎらわしい語の一覧」というページがあるはずです。たぶん、教科書の後ろのほう。古語辞典なら「に」をひいてください。
まあ、いろいろな文章を何度も読まないと、なかなか区別できるものではないです。
 「賀茂【に】常【に】つかうまつりける」
 「夢【に】、ゆふしでのきれ【に】書きたりけるものを」
 「春雨【に】涙とりそへ」
 「夢さめ【に】けり」
 「あはれと思ふほど【に】」
 「付きたる【に】てあり」
 「こと【に】あはれ【に】めでたく」
いや、こんなにあるとは思いませんでした。「賀茂に」と同じ「に」を選べと出題しましょうか。

A 「賀茂に」④格助詞
「女房が、賀茂に、つかうまつりける」という文章ですね。「格」というのは、その言葉がその文章の中でどういう役割なのかを示しています。「私にあなたがチョコを与える」だと、「私」に「あなた」から「チョコ」が譲渡されるという意味になります。「私があなたにチョコを与える」だと、「私」から「あなた」に「チョコ」をあげるから泣くな鼻水を拭けという意味になります。「に」にするか「が」にするかで、私があげるか、あなたがあげるかが変わる。これが格助詞の役割です。
文章の中で「賀茂」がどういう役割かを示していますので、ここは格助詞。「賀茂という場所に」という意味になります。上に体言(名詞)があれば④格助詞か②断定の助動詞「なり」の連用形です。断定にすると「女房が賀茂である」という意味になります。違いますね。

他にも格助詞があります。「夢に」これは「夢のなかで」という意味です。賀茂と同じ、一種の時間・場所です。場所というと、違和感があるかもしれませんが。

「ゆふしでのきれに」これも格助詞。「神が、ゆふしでのきれに、書いた」という意味になります。

「春雨に」。これも格助詞。「春雨に涙を添えて~シェフの気まぐれ何とか」。「シェフが、春雨に、涙を、添えた」という意味になります。

「付きたるにてあり」これも格助詞。格助詞「にて」と立項されているでしょうか。格助詞「に」と接続助詞「て」がくっついたものです。ここは注意。「にて」が、「~であって」と訳せる場合は「断定の助動詞「なり」の連用形+接続助詞「て」」です。「付きたるであってあり」だと通じないので、ここは格助詞。

「あはれと思ふほどに」。「ほどに」で古語辞典に載っています。名詞「ほど」+格助詞「に」。「~するときに」と訳します。あはれ、と思ったタイミングで手を見た、という時を表す格助詞です。

A 「常に」③ナリ活用形容動詞「○○なり」の連用形活用語尾 ⑥副詞の一部
これは形容動詞でも副詞でも使います。古語辞典には「常(名詞/形容動詞)」とは別に、「常に(副詞)」と項目立てているものもありました。みなさんの辞書はいかがでしょう。形容動詞と立項しておきながら副詞的にも用いるなどという古語辞典もあります。もともと形容動詞なのですが「常に」という使い方が多く用いられたので、副詞の一種にしてもいいんじゃないのということです。どっちでもよい。形容動詞から副詞に変化した「~に」という言葉はたくさんあります。古語辞典をひいてみて、形容動詞と書いてあったら形容動詞。副詞と書いてあったら副詞。両方書いてあったら試験にでないことを祈りましょう。形容動詞も副詞も状態や性質を表しますから、これの見分けはちょっと難しいのではないかと。

「ことに」これも形容動詞でも副詞でもあります。どちらでもよろしい。

「あはれに」これは形容動詞です。「あはれなり」副詞ではない。と、思うのですが古語辞典はどうでしょう。副詞とは書いていないようですから形容動詞。

A 「夢さめにけり」。でました。「にけり」ときたらなんです? 完了の「に」!と答えてほしいところです。「にき」「にけり」「にたり」などときたら完了の「に」。もちろん、答えるときには「完了の助動詞「ぬ」の連用形」とフルバージョンで答えてほしい。完了の助動詞「に」は連用形に接続します。「さめ」がマ行下二段活用動詞「覚む」の連用形ですね。

「に」の識別は以上です。これは迷うと思います。いろんな文章を読んで、受験の日までに慣れてください。

 

Q 「直衣」

A 男性貴族の普段着です。古語辞典を引くときは「なほし」と引いてください。音読するときは「のうし/なおし」です。たまに、読み方を聞かれることがあります。

 

Q 「着たりける」、上一段活用

A 上一段活用の動詞、というものがあります。「着る・見る・煮る・射る・干る・率る」などが属しています。語幹と活用語尾の区別がないという程度のことですが、他の活用形に対して数が少ないのでテストに出題されやすい。下一段活用の「蹴る」とセットで頭に入れておいてください。この文章だと、「見る」もでてきました。

 

Q 以下の4つから敬語の説明をしたいと思います。

と言った時点で、敬語じゃないのが混ざってるぞ?と思った方は今までの説明をよく読んでいました。主要な敬語は文法の教科書に出ています。以下3つくらいなら出ているのではないでしょうか。
 「賀茂に常につかうまつりける」
 「久しく参らざりける」
 「直衣着たりける人の賜はせける」
 「手にものの握られたりける」

○その前に○
尊敬語・謙譲語・丁寧語の違いがわかっている方は飛ばして読んでください。簡単に説明します。
古文の敬語にはこの3つがあります。「譲」と「寧」の字を間違えないように。
尊敬語は、動作をしている人に対する敬意です。文章を書いている、もしくはセリフを言っている人からの敬意です。
謙譲語は、動作をされた人に対する敬意です。文章を書いている、もしくはセリフを言っている人からの敬意です。
丁寧語は、その話を聞いている人に対する敬意です。文章を書いている、もしくはセリフを言っている人からの敬意です。
今回出てくるのは尊敬語と謙譲語です。誰の動作で、誰に対する敬意なのかを理解してください。セリフはありませんので、全てこの古文を書いている人からの敬意です。
○ここまで○

A 「つかうまつる」謙譲語。本動詞。便利な語です。「つこうまつる」と発音します。「お仕えする」という意味ですが、「す」「書く」「つくる」「舞ふ」など様々な語の謙譲語として使われます。上位の人になにかする、という意味です。何をしているかは前後の文章を現代語に置き換えて推測してみてください。ここでは神社ですから、「参拝する」という訳になります。女房が神社に行く。女房の動作です。それを、謙譲語で「つかうまつる」にして、神社への敬意を表しています。女房の動作ですが、謙譲語ですから、動作をされた側である神社に対する敬意になります。神社と、そこに住んでいる神に対する敬意でもあります。
これのあとに過去の助動詞「けり」の連体形「ける」がついているので「参拝した」という訳になります。
古語辞典か、文法の教科書を引いていますね? 「つかうまつる」の本動詞のとなりの項に「補助動詞」と書かれているのもチラ見しておいてください。

A 「参る」謙譲語。本動詞。古語辞典にないという方は「まゐる」で引いてください。参詣するという意味がありますね。参上する、宮仕えに出るなど、ひとおおりの意味を見ておきましょう。これも、動作をしている女房ではなく、動作をされている神社に対する敬意です。尊敬語の「参る」もありますね。よかったら、そちらも覚えてください。

A 「賜はせける」これは尊敬語。「賜ふ」に尊敬の助動詞「す」がついてグレードアップした「賜はす」という言葉です。もちろん「賜ふ」より敬意もアップしています。神の動作ですから。尊敬語は動作をしている人に対する敬意でした。神が女房にゆふしでをあげた。神の動作です。それを、尊敬語で「賜はす」にして、神への敬意を表しています。
「賜はす」はサ行下二段活用動詞です。ハ行四段活用「賜ふ」は尊敬語、ハ行下二段活用「賜ふ」は謙譲語と習っていると思いますが、「賜はす」は「賜ふ」とは別の動詞で下二段活用の尊敬語です。混同しないでください。

A 「握られたり」これは敬語でなく受身。上の、格助詞のところで説明済みです。これを敬語に解釈すると、女房の動作にひとつだけ尊敬語が用いられることになり、前後の文章と齟齬を来します(そごをきたします、と読むのだよ)。

 

品詞分解

名詞/格助詞/副詞/ラ行四段活用動詞「つかうまつる」の連用形/
賀茂/に/常に/つかうまつり/

過去の助動詞「けり」の連体形/名詞/格助詞/
ける/女房/の/

シク活用の形容詞「久し」の連用形/ラ行四段活用動詞「参る」の未然形/
久しく/参ら/

打消の助動詞「ず」の連用形/過去の助動詞「けり」の連体形/
ざり/ける、/

名詞/格助詞/名詞/格助詞/名詞/格助詞/カ行四段活用動詞「書く」の連用形/
夢/に/ゆふしで/の/きれ/に/書き/

完了の助動詞「たり」の連用形/過去の助動詞「けり」の連体形/
たり/ける/

名詞/格助詞/名詞/カ行上一段活用「着る」の連用形/
もの/を/直衣/着/

完了の助動詞「たり」の連用形/過去の助動詞「けり」の連体形/
たり/ける/

名詞/格助詞/サ行下二段活用動詞「たまはす」の連用形/
人/の/たまはせ/

過去の助動詞「けり」の連体形/格助詞/マ行上一段動詞「見る」の已然形/
ける/を/見れ/

接続助詞
ば/


ダ行下二段活用動詞「思ひ出づ」の終止形/係助詞/
思ひ出づ/や/

名詞/係助詞/ダ行下二段活用動詞「思ひ出づ」の連体形/
思ひ/ぞ/出づる/

名詞/格助詞/名詞/ハ行下二段活用動詞「とりそふ」の連用形/
春雨/に/涙/とりそへ/

ラ行下二段活用動詞「ぬる」の連用形/過去の助動詞「き」の連体形/
ぬれ/し/

名詞/格助詞
姿/を

 

格助詞/ラ行変格活用動詞「あり」の連用形/
と/あり/

過去の助動詞「けり」の連体形/格助詞/
ける/を/

マ行上一段動詞「見る」の連用形/接続助詞/名詞/
見/て/夢/

マ行下二段活用動詞「さむ」の連用形/完了の助動詞「ぬ」の連用形/
さめ/に/

過去の助動詞「けり」の終止形/名詞/格助詞/
けり/あはれ/と/

ハ行四段活用動詞「思ふ」の連体形/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
思ふ/ほど/に/手/に/

名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「握る」の未然形/
もの/の/握ら/

受身の助動詞「る」の連用形/完了の助動詞「たり」の連用形/
れ/たり/

過去の助動詞「けり」の連体形/格助詞/
ける/を/

マ行上一段活用動詞「見る」の連用形/過去の助動詞「けり」の已然形/
見/けれ/

接続助詞/名詞/格助詞/名詞/格助詞/名詞/名詞/
ば/ゆふしで/の/きれ/に/墨/三十一/

カ行四段活用動詞「付く」の連用形/完了の助動詞「たり」の連体形/
付き/たる/

格助詞/接続助詞/ラ行変格活用動詞「あり」の終止形
に/て/あり。/

副詞/ナリ活用の形容動詞「あはれなり」の連用形/
ことに/あはれに/

ク活用の形容詞「めでたし」の連用形/名詞/係助詞/
めでたく/涙/も/

ラ行四段活用動詞「とどまる」の未然形/打消の助動詞「ず」の終止形/
とどまら/ず/

係助詞/ラ行変格活用動詞「あり」の連用形/過去の助動詞「けり」の連体形/
ぞ/あり/ける/