和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

夏の和歌 風に吹かれて夏をすごす ― 永日すらながめて夏を過ぐすかな吹きくる風に身をまかせつつ

永日すらながめて夏を過ぐすかな吹きくる風に身をまかせつつ
   (好忠集・六月はじめ・曽祢好忠/男性・163・10世紀)

英語(English)

 

現代語訳

(夏の)ながい一日でさえ(ただ空を)ながめて夏をすごしています。吹きくる風にただ身をまかせつつ。

 

内容解説

諸事取り紛れているうちに夏至が過ぎてしまったようです。6月22日でした。梅雨空の下にいるとあまり日がながくなった気がしませんが、帰り道でもまだあたりが明るいという実感はあります。日本各地のみなさまはいかがでしょう。当ブログはおよそ半数のアクセスを海外からいただいておりますが、それぞれに夏が始まるころでしょうか。南半球だと逆ですね。みなさまご高覧ありがとうございます。

 

春から夏になると日がながくなるというのは平安時代でも知られていて、「永日(ながび)」というのはながい一日のことです。どちらかというと春の方が一日の長さ、秋の方が夕闇の早さを感じるかもしれませんが、ここは夏の歌。空を、と現代語訳を補いましたが、遠くを、景色を、くらいでしょうか。

 

「ながむ」という古語には「物思いにふける」という意味がありますが、必ずそうというわけではありません。現代語と同じ、遠くを見る、景色を見る、というだけの意味でも使いますし、物思いといっても濃淡はその時々でしょう。ここはどちらのニュアンスでしょうか。ぼんやり外を眺めながら心の内では物思いをしているのか、ただただ暑いなーと思っているのか。まあなにも考えていないということはないでしょうが、ながい一日、飽きもせず空を眺めて一日を過ごすのだそうです。何を見ていたのでしょう。燦々と降りそそぐ太陽でしょうか。どこまでも続く青空でしょうか。むせかえるように茂る緑でしょうか。何をどうしようと暑いのに変わりはないのだから風の吹くままひたすらぼんやり。吹きくる風に身をまかせるという心のうちにはどんな思いがあったのでしょうか。

 

 

古典文法解説

 

Q 副助詞「すら」

A 夏のながい一日さえ、(空を)ながめてすごすことだよ。です。「例外的な事物を取り立て、一般的な事物を類推させる。/)程度のはなはだしい事物を取り立て、他を類推させる。」(日本国語大辞典)。ながい夏の一日ですら空を眺めてすごしているのですから、春も夏も秋も冬も空を眺めて過ごしているのです。何を思っていたのでしょうか。
余裕があれば「だに」と「さへ」も見ておいてください。

 

Q 「つつ」

A ふたつ、意味があります。~しつづけるという意味の「継続・反復」。~しつつ、~をするという意味の「動作の並行」です。わからなければ両方で現代語訳を作ってしっくりくるほうをとってください。

 

品詞分解

名詞/副助詞/マ行下二段活用動詞/接続助詞/名詞/格助詞/
なが日/すら/ながめ/て/夏/を/

サ行下二段活用動詞「過ぐす」/終助詞/
過ぐす/かな/

カ変動詞「吹き来」の連体形/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
吹きくる/風/に/身/を/

サ行下二段活用動詞「まかす」の連用形/接続助詞
まかせ/つつ