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和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

秋の和歌 もの思いの限りを尽くす秋 ― 木のまより洩り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり

木のまより洩り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり
   (古今集・題しらず・よみ人しらず・184)

 

現代語訳

木々の枝葉からもれこぼれてくる(秋の)月の(玲瓏たる)光を目にすると、ああ今年も秋が、物思いの限りを尽くす秋が来たのだなあ(と思われる)。

 

内容解説

心づくしの秋は来にけり、です。秋。風は涼しく、野には花、山は黄と紅に染まり、煌々たる月が地上を照らし、人は物思いの限りを尽くす秋が来ました。どんな季節でも物思いをすることはありましょうが、ただその季節にいるというだけで心動かされるのはなんといっても秋です。真夏の灼熱はとうに過ぎ去り、ほっとひと息つくとともに一抹の寂しさと不安がかきたてられる。

 

山の紅葉の美しさ、路傍の草花のかわいらしさ、夜の月の清澄な輝きに目を奪われているうちに涼しかった風に寒さを覚えるようになり、虫の音は弱り、木々の葉は一枚、また一枚と地に落ち、ゆっくりと季節は冬へ、終わりの季節へ近づいてゆく。すべてが終わりゆく季節の中で、ただ空の月だけは地上の季節にも変わることなく静かにこの世を見下ろしている。

 

現代語の「心づくし」は人を思いやって何かすることを言いますが、古語の「心づくし」は物思いの限りを尽くすことです。ですから心を尽くす対象は人に限りません。過ぎゆく季節への感慨だったり自分自身の境遇だったりいろいろあって、でもあれが気にかかるこの悩みが尽きない、という個別の問題ではなくて、秋という季節そのものの時を過ごすことにもう何とも言えず物思いの限りを尽くすことだよ、と詠むのが秋のもの思いの典型です。そしてその思いを最大限引き出すのが秋の月でした。

 

命の夏から終わりの冬へ、ただ景色が凋落してゆくだけなら秋がそれほど人の心を動かすことはなかったかもしれません。この過ごしやすい季節に、野も山も美しい季節に、あくまで美しい季節の中に、ゆっくりと終わりの気配が広がってゆく。そのさびしさが秋の物思いの底に流れる愁いなのでしょう。秋の歌は、秋そのもののように美しくて、そして哀しい。

 

 

古文文法解説

Q 「洩り来る月」と「来にけり」とカ変動詞「来る」

A まずは上ふたつ、音読できるでしょうか。「もりくるつき」と「きにけり」です。「来」は活用形を答えよのほか、ひらがなで読みを答えよなんて聞かれることもありますので要注意です。カ行変格活用の「来る」、活用を唱えられますか? ちょっと微妙という方は文法の教科書を開けてください。古語辞典の付録にもついていると思います。カ変動詞の活用表。

 

「洩り来る月」から行きましょう。「来る月」の形です。「来る」はカ変動詞「来」の連体形。なぜなら「来る」の下にある「月」が体言(名詞)だからです。動詞の下に名詞が来るときには動詞が連体形になります。「来る」と書いて「くる」と読みますね。「洩り来る」は「洩る」に「来る」がくっついた形です。文法の教科書にカ変動詞は「来る」一語のみであるが、「~来る」と複合語を作る、などとも書かれていると思います。別にいじわるで書いているわけではなくて、迷わないように書いてくれているだけですから余裕があったら覚えてあげてくださいね。

 

「来にけり」に行きましょう。「来る月」の時は「月」が体言(名詞)だから「来る」は連体形だと判断しました。ここでも同じです。「に」が何だかわかれば「来」が何だかわかります。んーと、ここで「に」の見分け方を覚えていますかと聞きたいところですが、覚えている方は唱えてみてください。覚えていない方はこれだけ覚えて帰って下さい。「にき」「にけり」「にたり」ときたら完了の助動詞「ぬ」の連用形の「に」である、と。「に」の見分け方は古典文法屈指の難問です。説明したいところですが説明したら「来る」の説明が頭に残らないでしょう。ですからこれだけ覚えて下さい。「にき」「にけり」「にたり」の「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形である。「に」が「ぬ」? という疑問はとりあえず置いておいてください。

 

というわけで、「来にけり」の「に」は完了の助動詞「ぬ」です。さて、完了の助動詞の接続は? 文法の教科書を見てみましょう。「ぬ」の接続は連用形と書かれています。つまり、「来」と「ぬ」をくっつけるためには、「ぬ」の上の「来」を連用形にしなくてはならないということです。「来」の連用形は「き」です。ですから「きにけり」。


「に」が「ぬ」? と思ってしまった方、同じことです。完了の助動詞の「ぬ」と過去の助動詞「けり」をくっつけるためには、「けり」の接続を見なくてはなりません。見てみましょう。連用形とありますね。つまり、「けり」の前の完了の「ぬ」を連用形にしなくてはいけないのです。「ぬ」の連用形は「に」ですね。ですから、「にけり」の形になります。

 

以上、読んでみたけど意味がわからなかった、という方はノートか何かにまとめながらもう一度読んでみてください。「く ぬ けり」という言葉の並びをつなげると「きにけり」になるのですという説明をしていました。ノートに「きにけり」と書き、「く ぬ けり」と書き、なぜ「く ぬ」が「きぬ」となり、「きぬ けり」が「にけり」となるのか、文法の教科書をよくよく見ながら考えてみてください。それでもわからなかったら、ななこの説明が下手だということで他の塾か参考書を見つけてください。わかる、というのはいろいろな要素が組み合わさって生まれる現象です。その先生の説明がうまかったからわかるということもありますし、先生は下手だけど自分で考えたらわかった、ということもあります。わからない、にもいろいろな要素がありますから、ひとつの方法で諦めずにいろいろ試してみることだと思います。

 

Q 影は光

A 古語で月の影といえば月の光のことです。現代語で言う物陰、人影の意味もありますので一度古語辞典を引いておいてくださいね。

 

Q 「見れば」は恒時条件

A 「ば」とあったら必ず「ば」の前の動詞が未然形か已然形かを見てください。未然形なら未だ然らずですから、まだ実現していない未来のこと、已然形なら已に然りですから、もう実現した過去のことをあらわします。

「見ば」なら順接の仮定条件で「もし見たとしたら~なる」。「見」はマ行上一段活用動詞「見る」の未然形です。未然形に「ば」がついたら、未来のこと。もし~したら。

「見れば」なら順接の確定条件で「見たので~なった」、偶然条件で「見たところ、偶然にも~なった」、恒時条件で「見ると、いつも~なる」。「見れ」はマ行上一段活用動詞「見る」の已然形です。已然形に「ば」がついたら、もう已に起っていること。~したから~なる。「已然形」の「已」は「すでに」という意味です。

ここは已然形についていますから、すでに「見た」。偶然条件でしょうか。秋の月を見ると、物思いをする季節が来たものだなーと思う、です。

 

品詞分解

名詞/格助詞/名詞/格助詞/カ変動詞「もりく」の連体形/
木/の/ま/より/もりくる/

名詞/格助詞/名詞/マ行上一段活用動詞「見る」已然形/
月/の/影/見れ/

接続助詞/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
ば/心づくし/の/秋/は/

カ変動詞「く」連用形/完了の助動詞「ぬ」の連用形/
き/に/

過去の助動詞「けり」終止形
けり