和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

秋の和歌 露に濡れても ― 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜はふけぬとも

秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜はふけぬとも
     (万葉集・秋相聞・寄露・よみ人しらず・2252)

 

現代語訳

秋萩の咲き散る野辺の、(花や葉に置く)夕露に濡れながら私の家まで来てください。夜はふけて(暗くなって)しまったとしても。

 

内容解説

恋歌です。女性が、愛する人を誘う歌。

 

萩の葉を見たことがあるでしょうか。小さい楕円形の、かわいい葉です。その上にころりと丸い露がおりると、透明なビーズのようにかわいらしい。花の色は赤紫か白。小さな花が房になって咲きます。いまいちピンと、という方は画像検索をかけてみてくださいな。それが夕露ですから、日が落ちてほのくらい中にかすかな光を宿して秋の風に揺れている。萩の丈は人の腰のあたりでしょうか。その中をかき分けて進むと萩の上の露が裾を濡らして冷たいでしょう。おまけに暗くなってきて道もはっきりしないかもしれません。それでもどうか来てください。お待ちしていますから。あなたのいない秋の夜を、どうやって過ごしたらよいのでしょうか。

 

なんと完成度の高い歌かと思います。秋の夜の人恋しさ、萩の花、露のしずく。萩に露が置くのは秋の野の情景であると同時に、秋の夕暮れ時に恋人を待つ女性のたおやかな姿でもあって、そのふたつが違和感なく同居している。風にそよぐ葉、揺れる花、夕露おりるその道の奥に、恋する女性が住んでいて、上目遣いでしょうか、流し目でしょうか、甘えと期待と、あでやかな笑みが言葉の流れにすべり落ちる。つぶやくセリフのひとふしのようになだらかな言葉続き。

 

昔の人の感覚を決して現代人の感覚でなぞってはいけません。同じ日本人と言えるほどの文化的背景を共有していないからです。同時に、萩の露の美しさと秋の寂しさに誰も共感できないならば古典を文学として遺す意味もない。古典との付き合い方は常に「わかる/わからない/わかったつもりが違ってた/わかった」のせめぎ合いのなかにあります。この歌は一読すれば意味が分かる(気がする)。感情移入もしやすい(と思う)。という感覚が、さてどれだけ「彼ら」の感覚と重なりうるものかと考えると、そもそも夜になると男性が女性の家に通うという習慣が現代人にはいまいちピンと来ない。夜の暗さも、寒さを凌ぐ手段も現代とは比べものにならない。それでもなおこの歌を読んだときに「わかる」と思う、その感覚を詰めてゆく作業が古典を読む上では欠かせないのです。(あ、取り寄せを頼んだ論文、来ました。前回の。)

 

 

古典文法解説

Q 「秋萩の咲き散る」と「野辺の夕露」の「の」違い。

A 主客の「の」と連体修飾格の「の」です。「秋萩が咲き散る」と解釈します。

 

Q つつ

A 反復・継続、動作の並行、どちらかです。ここでは動作の並行ですね。濡れながら、来る。

 

Q 来ませ

A 助動詞「ます」の命令形「ます」というものがあります。の、「ます」です。「いらっしゃいませ」などと現代語でも使いますね。連用形接続ですから「きませ」と読みます。尊敬を含む命令というニュアンスですが、「いらっしゃいませ」なんてまさにそんな感じでしょう。

 

品詞分解

名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「咲き散る」連体形/
秋萩/の/咲き散る/

名詞/格助詞/名詞/格助詞/ラ行下二段活用動詞「濡れる」連用形/
野辺/の/夕露/に/濡れ/

接続助詞/カ変動詞「来る」連用形/敬意を表す助動詞「ます」命令形/
つつ/来/ませ/

名詞/係助詞/カ行下二段活用動詞「ふく」連用形/
夜/は/ふけ/

完了の助動詞「ぬ」終止形/接続助詞
ぬ/とも