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和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

冬の和歌 平安時代のあったかアイテム ― 身をしればあはれとぞ思ふうづみ火のあるかなきかの暁のそら

冬歌(Winter)
身をしればあはれとぞ思ふうづみ火のあるかなきかの暁のそら
(公衡集・賦百字和歌七月九日午時以後三時詠之・うづみ火・69) 

 

現代語訳

(炭火だけでなく、私の)身もまたはかないものと知っているから、(我が身に添えて)心にしみる。(一晩中燃やされて)消えかけている埋み火が、あるかなきかのはかなさで燃えているこの暁の空。

 

内容解説

前回と、その前の続き。これでこのお話はおしまいです。

炉火ばかりを友として底冷えの夜に耐え、朝になってその火が消えかけているのを見ていると耐えがたい喪失感が、というお話でした。「つひにみな消えなむことを思ひしるあかつきがたのうづみ火のかげ」の時は、「うづみ火」が消えてゆくことに、ここでは「身をしれば」と我が身に思いを馳せています。

 

「身をしれば」は、「自分の身の程を知っているから」という意味です。さらに言えば、「自分もいずれは死ぬ身であることを知っているから」という意味です。炭火が消えようとしているのを見て「あはれ」と思うのは、自分の長い寿命に比べて一晩の命である炭火を哀れと思うのではない。自分もいずれは消える身であることを知っているから「あはれ」と思うのだ、ということです。人の死を火が消えることにたとえる例は『法華経』の釈迦の入滅にも、また『源氏物語』の藤壺崩御などにも見られます。藤壺宮の崩御には「灯火などの消え入るやうにて果てたまひぬれば」とあり、火が燃え尽きるさまは人の静かな臨終に似ている、なんてことを炭火を見ながら白みはじめた明け方の空に思ったわけです。

 

前回の「つひにみな消えなむこと」の「みな」を、「全ての炭火」ととるか、広く「この世にあるもの全て」ととるか、保留にしていました。おそらく、前回の歌の範囲の中では「全ての炭火」でしょう。続けてこの歌を含めれば「この世にあるもの全て」を念頭に置きつつ詠んでいると解釈して良いかと思います。今回の歌の現代語訳を「心にしみる」としてみましたが、どんな言葉を当てはめたらよいのでしょうか。さびしいなどという感情ではない、「うづみ火(具象)」→「この世の全て(抽象)」→「我が身(具象)」という段階を経て、一晩の友であった「うづみ火」が、同じ無常の世を生きる友となったのです。

(『源氏物語』は新編日本古典文学全集 小学館から引用)

 

朝の和歌

夜明けの月、桜が舞い踊る ― 山たかみ嶺のあらしに散る花の月に天霧るあけがたの空

一瞬の、君 ― 朝影にあが身はなりぬ玉かぎるほのかに見えて去にし子ゆゑに

夜の戸を開けたら、そこは梅の世界でした ― 真木の戸をあけて夜深き梅が香に春のねざめをとふ人もがな

 

古文文法解説

Q 「知れば」は、知っているから。

A 未然形+「ば」は、「~したら」。まだそうなっていないけれど、もしそうなったら、の意味です。已然形+「ば」は、「~したから」。そうなったから、の意味です。文法の教科書で、接続助詞「ば」をひいてみると仮定条件やら確定条件やら書かれていますので、例文ごと確認しておいてください。

 

Q 「あはれとぞ思ふ」は係り結び。

A 「ぞ」が係助詞、「思ふ」は終止形も連体形も「思ふ」ですが、係り結びを起こしていると考えて連体形です。

 

品詞分解

名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「知る」已然形/接続助詞/
身/を/しれ/ば/

名詞/格助詞/係助詞/ハ行四段活用動詞「思ふ」連体形/
あはれ/と/ぞ/思ふ/

名詞/格助詞/ラ変動詞「あり」連体形/係助詞/
うづみ火/の/ある/か/

ク活用形容詞「なし」連体形/係助詞/格助詞/名詞/格助詞/名詞
なき/か/の/暁/の/そら