和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

冬の和歌 薄氷と泡 ― 消えかへり岩間にまよふ水の泡のしばし宿借るうす氷かな

消えかへり岩間にまよふ水の泡のしばし宿借るうす氷かな
新古今集・冬歌・題しらず・藤原良経・632・12世紀)

  

現代語訳

(川の流れに渦巻いて)生まれては消え、消えては生まれ、岩のあいだを行き迷う水の泡が、わずかひとときとどまる(氷さえもかすかに薄い、その)薄氷のなんというはかなさよ。 

 

内容解説

これが良経。これが良経です。貴公子良経。藤原良経。後京極摂政殿。貴族の最高位である五摂家のひとつ九条家に生まれ、一時政界から失脚するも返り咲き、摂政太政大臣として人臣の頂点に立つ。和歌、漢詩、書道に優れた早熟の天才。俊成、定家父子を庇護し、後鳥羽院、定家とともに中世和歌の最高峰を築き、『新古今集』編纂の指揮を執り、元久三年三月七日の夜に原因不明の急死。享年38。

 

泡がはかない存在だというのは昔からのお約束です。すぐ消えますから。そのはかない泡が薄い氷に留まり宿を借りる。結んでは消える「水の泡」もながいあいだその「薄氷」にとどまっているわけではない。ほんのしばし、流れが渦巻く一瞬のあいだ薄氷に身をとらわれている。それをとらえている薄氷こそ今にも割れそうにはかない。はかない薄氷に、はかない泡が、ほんのひととき宿っている。真冬の川。冷たい流れ。透きとおる氷に浮かぶ泡。研ぎすまされた感性のひらめき。これが良経です。稀代の天才。


もう一歩深読みをしてみましょう。

  維摩経十喩、この身は水の泡のごとしといへる心をよみ侍りける 
ここに消えかしこにむすぶ水の泡のうきよにめぐる身にこそありけれ
     (千載集・釈教歌・公任・1202)

藤原公任、という男も覚えておいて損はありません。摂政、関白、太政大臣の家に生まれる貴人はどんな時代にもいるし(当然ですね)、優れた才能を持つ男もどこにだっています。しかし最高位の貴族でありながら他を圧倒する才能に恵まれた男はそうそういません。中世の良経に匹敵する平安の巨匠、藤原公任。良経と違って早死にはしませんでしたが、公任が生まれた小野宮家は父の頼忠の代に、兼実に敗れて摂政・関白の座を失いました。名門、薄幸、天才。

 

で、その公任の歌の話でした。「ここでは消えて、あちらでは生まれる水の泡が浮いているかのように、憂き世を生きる我が身であることよ」という意味です。「浮き」と「憂き」が掛詞。「泡」と「浮き」は縁語でしょうか。「めぐる」はぐるぐる回る意味ですが、「憂き世をめぐる」といった場合は「生きる」と訳します。生まれて死ぬまでほんのわずか滞在するこの世もしょせんは仮の宿にすぎず、はかない泡のように人もこの世に生まれては死んでいく。この歌を前提に良経の歌を詠むと、泡を我が身と解釈すると、良経の歌はどうなるでしょう。はかない泡のような私の命、その私の命がほんのわずかなあいだ宿るこの世もまたはかない薄氷のようなもの。そのはかないこの世に人はわずかひととき留まっている。人生の足下が、ゆらりととけて流れるような、ぱりんと砕けて散るような。

 

氷雪の和歌

雪の玉水、緑の松の戸 ― 山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

ガラス越しの波 ― 春風に下ゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな

あなたでなくて、誰のことを想いましょうか  ― 君ならでたれをか訪はむ雪のうちに思ひいづべき人しなければ

 

古典文法解説

Q 「消え返る」はどう訳しますか?

A 繰り返す意味の「返る」です。「消え返り」で、消えては生まれ、消えては生まれを繰り返す。

 

品詞分解

ラ行四段活用動詞「きえかへる」連用形/名詞/格助詞/
消えかへり/岩間/に/

ハ行四段活用動詞「まよふ」連体形/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
まよふ/水/の/泡/の/

副詞/名詞/ラ行四段活用動詞「借る」連体形/名詞/終助詞
しばし/宿/借る/うす氷/かな