春の和歌 恋は春の霞のように ― おもひあまりそなたの空をながむればかすみをわけて春雨ぞふる
春のころしのぶる事ある女のもとにつかはしける
おもひあまりそなたの空をながむればかすみをわけて春雨ぞふる
(長秋詠藻・藤原俊成/男性・328)
現代語訳
春のころ、秘密の恋人である女性のもとに贈った(歌)
(あなたを恋しいと)思う気持ちのあまりにあなたが住んでいる方の(霞に閉じられてはっきりと見えない)空を眺めていたら、(春の空いちめんにただよう)霞をわけるように春雨が降ってきて(あなたが住む方角がまったく見えなくなって)しまいました。(わたしの気持ちも霞の中に閉じ込められて何とも言いようのない思いです。)
内容解説
春は霞の季節です。おだやかなあたたかな空気を包みこむように霞がかかり冬の寒さがゆるんでゆく。その春のころ「忍ぶることある女」ですから、ふたりだけの秘密、まだ誰にも話していない秘密の恋です。言ったら飲み会のネタにされますから。なにしろ秘密なのでそう頻繁に会いに行くわけにはいかず、会いたいと思っても何か別の用事ができるか偶然をよそおうか、ともかく会いたいから会いに行くということはできなくて、かといって別のことをする気にもなれず、春の霞が流れる空を、彼女が住んでいる方角の空をじっとながめて座っていると春の空のように曇る心のうちに思いがつのる。
心が曇るといっても陰鬱な暗さではなくて、その人のことを考えると春の霞のようにあたたかくて、でもすっきりとは晴れないもどかしさ。満たされない思いで空を眺めているとその霞の空から春の雨が静かにおりてきておぼろな春の景色はますます霞んで、心のうちも霞んでもの思いに沈んでいる。しあわせな、でも満たされない春の雨の日の思いです。
空の和歌
金の雲海、神話の春 ― 天の門の明くるけしきも静かにて雲居よりこそ春はたちけれ
平安時代のあったかアイテム ― うれしくも友となりつつうづみ火の明け行く空になほ残りける
空がゆっくり明るくなって、桜も紅に染まってゆく ― 時のまもえやは目かれむ桜花うつろふ山の春のあけぼの
古典文法解説
Q 「ながむれば」の「ば」は偶然条件である。
A もしくは、「ながむれば」の「れ」に傍線が引いてあって説明せよと言われます。傍線を引かれるとどうしてもそこだけを抜き出して考えたくなりますが、そうではありません。傍線を引かれた言葉がなんであるかを知るためには、傍線を引かれた言葉の前後の言葉がなんであるかを考えなくてはならないのです。
というわけで、上から順番に古語辞典を引きます。「な―が―む」がありますね。「詠む」ではなく「眺む」のほうです。活用形はなんでしょう。下二段活用と書いてあります。下二段活用とはなんでしょう。「ながめ・ながめ・ながむ・ながむる・ながむれ・ながめよ」です。「ながむれ」という形がありますね。已然形です。
「ながむれ」の後に「ば」がつくことはあるでしょうか。古語辞典でも文法の教科書でもよいですが、接続助詞の「ば」を探してください。已然形につく「ば」は順接の確定条件、偶然条件、恒常条件とありますね。さてどれでしょう。どれでしょうというときには全ての訳を試してみます。準説の確定条件なら「空を眺めたので雨が降ってきた」祈祷師じゃありません。偶然条件なら「空を見たところ、雨が降ってきた」これはありそう。恒常条件なら「空を見るといつも雨が降ってくる」不幸な人。
ということで、ここは偶然条件です。復習をしたい方は、「ながむれば」の「れ」が受身・尊敬・可能・自発の助動詞「る」ではない理由を考えてみてください。「れ」がなにかを考えるのではありません。「れ」の上の「ながむ」が何かを考え、「ながむ」に受身・尊敬・可能・自発の「れ」がつくかどうかを考えるのです。
Q 「春雨ぞ降る」は係り結びである。
A 「降る」は四段活用なので終止形と連体形が同じかたちです。でもここでは「降る」の上に係助詞の「ぞ」があるので「降る」が連体形になっています。
品詞分解
ラ行四段活用動詞「おもひあまる」連用形/名詞/格助詞/
おもひあまり/そなた/の/
名詞/格助詞/マ行下二段活用動詞「ながむ」已然形/接続助詞/
空/を/ながむれ/ば/
名詞/格助詞/カ行下二段活用動詞「わく」連用形/接続助詞/
かすみ/を/わけ/て/
名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「ふる」連体形
春雨/ぞ/ふる