読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

冬の和歌 何もない一年でしたけれど、過ぎてゆくのは惜しいものです ― 思ひ出もなくて過ぎぬる年なれど今日の暮るるは惜しまるるかな

思ひ出もなくて過ぎぬる年なれど今日の暮るるは惜しまるるかな
   (田多民治集・としのくれ・藤原忠通・111)

 

現代語訳

(特別な)思い出もなくて過ぎてしまった一年だけれども、大晦日の今日が暮れ(てこの一年が今日で終わ)るのは惜しく思われるものだな。

 

内容解説

特に変り映えのない一年がまた過ぎていったよという意味なのですが、そもそも思い出もなくて過ぎて行く年なんてことがありうるのかどうか。いろいろあったことはあったけれど、思い返してみればとりたててこれというほどのものはなかった、ということなのでしょうか。思い返している自分の心があまりに静かだからそう感じるのでしょうか。一年も生きていればきっとなにかしらあったのです。なにかしらあったのだけれど、思い返せば静かな一年間だった。

 

明鏡止水、という言葉があります。鏡のように澄んだ心、水のように静かな心は全てを映して動じることがない。その人の一年にもきっといろいろなことがあって、でもその一年を振り返ってみると澄んだ水にうつる記憶のように穏やかに凪いでいる。ではこの世のことなどなんとでもなれと思っているかと言えばそうではなくて、「今日の暮るるは惜しまるるかな」、と、その一年が過ぎてゆくのが惜しい。

 

この一年に何があったとしても、それはしょせんこの世のことなのです。でも、しょせんこの世のひとつひとつが、人生だったのでしょう。穏やかな歌です。穏やかななかに、この一年を振り返る思いがこもる。こういう生き方をしてみたいものだと思います。

 

季節の終わる和歌

秋の色の、面影だけでも残るでしょうか - 心とめて草木の色もながめおかん面かげにだに秋や残ると

春のおわりの日 ― 何もせで花を見つつぞ暮らしつる今日をし春のかぎりと思へば

今年もまた終わりだと思うと、過ぎていった日々がたまらなく惜しく思われます ― 今年また暮れぬと思へばいまさらに過ぎし月日の惜しくもあるかな

 

 古典文法解説

Q 「暮るる」の「るる」と、「惜しまるる」の「るる」は文法的に同じかどうか。

A ちがうちがう。どんなときも、文法は上から下に(左から右に)区切って古語辞典をひいていきます。「暮る」で立項されているはずです。何活用ですか? 下二段活用動詞ですね。下二段活用動詞に「暮るる」という形があるかどうか。ありますね。逆に、「るる」を切り離した「暮」という言葉は存在しない。「暮る」と「る」に切り分けて説明ができればかまいませんが、できなければあきらめます。「暮るる」は一語。

 

「惜しまるる」も同様に古語辞典をひきます。「惜し」で切りたい? 「まるる」の説明ができれば切ってもかまいませんが、できません。これは「惜しむ」で一語です。古語辞典に立項されていると思います。逆に、「惜しまるる」を一語として扱うことはできない。では、「惜しま」に接続する「るる」があるかどうか。それは「惜しま」の活用形に接続する「るる」という語があるかどうかによります。未然形に接続する「るる」といえば、受身・自発・尊敬・可能の助動詞「る」の連体形でした。

 

品詞分解

名詞/係助詞/ク活用形容詞「なし」連用形/接続助詞/
思ひ出/も/なく/て/

ガ行上二段活用動詞「過ぐ」連用形/完了の助動詞「ぬ」連体形/
過ぎ/ぬる/

名詞/断定の助動詞「なり」已然形/接続助詞/名詞/格助詞/
年/なれ/ど/けふ/の/

ラ行下二段活用動詞「暮る」連体形/係助詞/
暮るる/は/

マ行四段活用動詞「惜しむ」未然形/自発の助動詞「る」連体形/
惜しま/るる/

終助詞
かな