和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

雪の和歌 雪の玉水、緑の松の戸 ― 山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水

  百首歌たてまつりし時、春の歌
山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
     (新古今集・春歌・式子内親王・3・12世紀)

English(英語で読む)

 

現代語訳

  百首歌を献上した時、春の歌(という題でよみました歌)
山が深い(ために雪の多く積った所に住んでいる)ので、春が来たともわからない山家の松の戸に、一滴、また一滴としずく を落とす雪どけの水(の宝石のようなうつくしさよ)。

 

内容解説

「山深み」で、「山が深いので」という意味です。平地より山のほうが雪が深いのは今も昔も同じこと。人の訪れもないまま 、静かな冬がいつまで続くともわからない家の松の戸の緑に真っ白な雪がつもっていて、春のある朝その雪がわずかにゆるみ、すきとおった水の雫がひとすじその松の戸をつたう。「たえだえ」ですから流れるほどではないけれども途切れるほどでも ない。そのしずくがひとつ落ちるたびに春が一歩ずつ近づいてくる。雪に閉ざされたこの家にも新しい春の時が流れはじめる 。

「松の戸」という言葉は、昔の中国の「陵園妾」という美人すぎて嫉妬されて幽閉された女性の話からうまれた言葉ですが、 そんな悲惨な状況を重ねて解釈する必要はないでしょう。幽閉されて、春が来ても出られないという歌ではありません。

冬のうちはどうだったかというと、こんな歌がありました。雪で道がなくなって誰も来ない冬、寒さと寂しさで眠れない夜に霰だけが戸を叩いてわたしのもとを訪れる、という意味です。物思いで眠れない上に霰の音でなお眠れないという状況でしょう。

道たえて人も訪ねぬ松の戸に冬の夜すがら霰おとなふ
  (堀河百首・霰・師頼・932・12世紀)

「夜すがら」は一晩中。「おとなふ」は音を立てて訪れる。「~も~ぬ松の戸に」という上の句の構造、「山ふかみ」の歌と似ているのではないでしょうか。「霰」は氷の粒ですから、戸にあたれば音がする。しかし「雪の玉水」ではたいした音はしない。冬のうちは霰が音を立てていた松の戸に、春になると雪のしずくがつたう。翠と白と透明の、清らかな色彩。

 

透きとおる和歌

雨のしずくが落ちるように、あなたを思い続けています ― 雨やまぬ軒の玉水かずしらず恋しき事のまさるころかな

薄氷と泡 ― 消えかへり岩間にまよふ水の泡のしばし宿借るうす氷かな

ガラス越しの波 ― 春風に下ゆく波の数みえて残るともなきうす氷かな

 

古典文法解説・品詞分解は以下をお読みください。

 

古典文法説明

敬語・み・とも・打消と完了の「ぬ」・掛詞・体言止め

 

Q 「百首歌たてまつりし時」とはいつですか。

A 正治二年(1200)に後鳥羽院が主催した「正治初度百首」という和歌の催しのために詠まれた歌です。入試で聞かれることは ないでしょう。「奉る」が謙譲語だということは覚えておいてください。古語辞典か、文法の教科書の敬語のページにもでているのではないでしょうか。「さしあげる」という意味です。「たてまつる」に、過去の助動詞「き」の連体形「し」が付いて「たてまつりし」になっているので、「さしあげる」ではなく「さしあげた」と訳してくださいね。ここでは「献上した」 と訳しました。連体形「し」になっているのは、体言「時」に接続しているからです。
敬意の相手は後鳥羽院です。
ついでに、補助動詞の「奉る」も見ておいてください。

 

Q 「山深み」で、「山が深いので」になるの?

A なります。「み」で古語辞典を引いてください。「~なので」という訳が出てきます。接尾語、といいます。ぜひ覚えてく ださい。

 

Q 「とも」は何助詞ですか。

A ①接続助詞「と」係助詞「も」 ②終助詞 ③格助詞「と」係助詞「も」 とがあるようです。③に引用の意味があります から、それでよいでしょう。「春が来た」ということも知らない、となります。などと説明されなくても「春とも知らぬ」と聞けばだいたい意味がわかってしまうのが日本語ネイティブの強みです。
②は同意の終助詞。「いいとも!」の「とも」です。①は仮定の逆接です。たとえ報われずとも、わたしは2次元を愛し続ける。うん、理解できますね。できない?

 

Q 「知らぬ」は完了の助動詞ですか、打消の助動詞ですか。

A 打消の助動詞ですね。日本語ネイティブであるがゆえに足をすくわれる箇所です。「知らぬ」なら打消の助動詞、「知りぬ」なら完了の助動詞です。
まずは動詞「知る」の活用形を確かめましょう。「知ら(ず)/知り(て)/知る/知る(時)/知れ(ども)/知れ」でしたね 。何のことだかわからない方は文法の教科書を開きましょう。動詞の、四段活用というページがあるはずです。語幹やら、未然形やら、書いてありますね。古文の授業の最初のころに、活用表を埋めようなんてテストをやったのではないでしょうか。 そう、それです。

次に助動詞活用表を開いてください。表紙を開いた最初のページにあるのでは。開いたら、打消の助動詞「ず」の連体形「ぬ 」と、完了の助動詞「ぬ」の終止形を探してください。ありましたか。見つかったら、ふたつとも同じ色のマーカーで塗ってしまいましょう。色をつけたくないならシャーペンで囲んで線で結んでも構いません。文法の教科書にはあれこれ書き込んだ方がよいですよ。ノートは次々新しくなりますが、文法の教科書は受験の日まで同じ一冊です。もしかしたら、試験会場まで持っていくかもしれません。

話を戻して、打消の「ず」と完了の「ぬ」を見つけて印をつけたら、接続の項を見てください。打消の「ず」は未然形接続、 完了の「ぬ」は連用形接続となっているはずです。打消の「ず」なら「知る」の未然形に接続し、完了の「ぬ」なら「知る」の連用形に接続するという意味です。「知る」の未然形は「知ら」ですから、「知らず」ならば「ず」は打消の助動詞です。 「知る」の連用形は「知り」ですから、「知りぬ」なら完了です。

ならばなぜ「知らず」ではなく「知らぬ」なのか。それは「ぬ」の後ろに「松の戸」という体言(名詞)があるからです。も ういちど助動詞活用表を見てください。打消の「ぬ」は連体形、完了の「ぬ」は終止形ですね。連体形とは、「ず」の下に体言(名詞)があるときには「ず」が「ぬ」に変わりますよという意味です。「ぬ「ず」が変化した形なのです。覚えておいてください。よって、「知らぬ松の戸」と文章が続きます。訳するときにも「知らない松の戸」と一続きに訳してください。
終止形とは、そこで文章が終わりますという意味です。終止形なら「知らず。松の戸」と終止形のあとで文章が一旦切れます 。訳するときには「知らない。松の戸」と文章を切ってください。
だいじょうぶですか。聞き流した人はもう一度読みましょう。完了の「ぬ」と打消の「ぬ」の見分け方は覚えておいた方がよいですよ。完了と打消では文章の意味が全く変わります。文法問題はいうまでもなく、ストーリーそのものを読み違えたら、 記述問題は全滅します。

では次、に行く前に、文法の教科書の打消の助動詞「ず」と完了の助動詞「ぬ」のページも見ておきましょう。活用表だけではなくて。

 

Q 和歌の問題ってありますよね。

A ありますね。「掛詞」と「体言止め」ですね。文法の教科書の、後ろのほうに和歌の技法のページがあります。「松」と「 待つ」は一番有名な掛詞なのでぜひ覚えていってほしいのですが、この歌において掛詞と認定するかどうかはどうも注釈書によって見解が異なるようです。「松の戸」に春を「待つ」がかかっているか、否か。春を待っている歌であることは確かです 。しかし「山が深いので、春が来たともわからない山家の待つの戸に」では文脈として成立しない。掛詞といえるかどうか。
この歌においてはどっちなんでしょう。

とまあ、そんなこと言われても受験生にはどうしようもありませんから、授業で和歌を習って、そこに掛詞が出てきたら覚えてください。「待つ/松」「降る/経る/古る」「浮き/憂き」など。入試に出ることもありますし、覚えていれば点が取れます。他にも知りたいという方は、教科書か古語辞典のどこかに掛詞一覧のようなページがあるのではないでしょうか。

体言止めとは最後が名詞で終わること。余情を残すとか何とか書いてあります。読み終わった後に深い印象を受けたり、言葉に現われた以上の印象を受けることです。

 

品詞分解

  名詞/ラ行四段活用動詞「たてまつる」の連用形/過去の助動詞「き」の連体形/

  百首歌/たてまつり/し/

  名詞/名詞/格助詞/名詞
  時、/はる/の/歌

名詞/ク活用形容詞「深し」の語幹/接尾語/
山/ふか/み/

名詞/格助詞/係助詞/ラ行四段活用動詞「知る」の未然形/
春/と/も/しら/

打消の助動詞「ず」の連体形/名詞/格助詞/名詞/格助詞
ぬ/松/の/戸/に/

副詞/ラ行四段活用動詞「かかる」の連体形/名詞/格助詞/名詞
たえだえ/かかる/雪/の/玉水