和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

冬の和歌 平安時代のあったかアイテム ― うれしくも友となりつつうづみ火の明け行く空になほ残りける

うれしくも友となりつつうづみ火の明け行く空になほ残りける
(公衡集・賦百字和歌七月九日午時以後三時詠之・うづみ火・67)

 

現代語訳

(冬の夜、)嬉しいことに、一晩中友だちとして寄り添っていた(炉火のわずかな)残り火が、(翌朝)ほのぼのと明けゆく空に(なっても)まだ燃え残っているよ。

 

内容解説

真冬の友といえば、ホッカイロ? 湯たんぽ? 缶コーヒー? PCのCPU部分? うちの彼氏? それぞれにぬくもりを感じるあったかアイテムを思いながら読んでください。

 

ホッカイロも缶コーヒーもない平安時代は、火桶や炭櫃で火を焚いて暖をとるのが一般的でした。「何事も古き世のみぞ慕わしき」などと『徒然草』にありますが、医療・衛生環境とエアコンと食事とあれとこれと、誰がなんと言おうと現代万歳。うっかり平安時代に生まれてしまったら、のどが痛い時も咳が止まらない時も、お腹が痛いときも、祈祷師か得体の知れない薬の2択です。無理。それからお風呂。平安時代の洗髪は1ヶ月に一度かそんなものです。無理。無理無理。トイレットペーパーがないのも無理。ヒーターやエアコンがないのもつらい。熱中症もあったでしょうが、冬の寒さも深刻だったでしょう。国語総覧やら便覧やらに「寝殿造り」の図がないでしょうか。暖房効率の悪そうな広いお屋敷に几帳や屏風を立ててすきま風を防ぎ、火桶で手をあたためるくらいです。あとは重ね着。もう絶対無理。食事はもう、いわずもがな。
……古典研究者でしょ? ――え?あ、まあ。 ……リアルタイムで読めるよ? ――あ、それは。はい。 ……いいの? ―いや、まあ。その。

 

一晩中火を焚いて翌朝見ると、灰が多くなって火はほとんど燃えていないと清少納言もいっていましたが、「埋み火」とは灰に埋もれた火をさします。冬の夜にたった一人、炉火に寄り添って何を思っていたのでしょうか。底冷えの夜、すべてが死に絶えたようにしんと暗い冬の夜に生きているかのような炭火の赤。雪の降るような、霜の降りるような寒さでしょう。静かに見つめた自分の思いを火に語りかける、という程ではないかもしれませんが、心のうちを探る自分のそばに寄り添って照らしてくれていた炉火がまるで友だちのような気がしてきた。朝になったら消えてしまうだろうと心配してたら、嬉しいことに朝になってもまだ燃え残っているよ。という小さな喜びです。

夜のあいだ明るさと暖かさをもたらしてくれたことを思うと、かそけく弱々しいこの炎にも格別の愛情がわいていとおしい。

 

この話には続きがあります。それはまた次回

 

古典文法解説

Q 「つつ」は継続ですか?

A はい。接続助詞「つつ」は、1反復(~しては)・継続(~し続けて)、もしくは、2動作の並行(~しながら)と訳します。「友となり続けて」では現代語としてこなれないので、「一晩中友だちとして」と訳しました。過ごした夜の時のながさをあらわします。反復は繰り返しですので、毎晩毎晩友として、の意味になってしまいます。それは違う。動作の並行でとると、炭火を友としながら別のことをしていた、になります。浮気はいけません。
「友となりつつ埋み火の」、ちょっとつながりが不自然な感じが気になりますが。

 

Q 「うづみ火の」の「の」は主格でいいんですか?

A どうなんでしょう。「の+連体形」は文法上2通り説明できます。「残りける」が連体形ですから、同格の「の」と取ってもよさそうですし、「残りける」を連体止めととって、主格の「の」でもよさそうです。同格で取れば「うづみ火で、残っている(火)」になります。主格で取れば「うづみ火が残っているよ!」になります。主格の方がしっくり来るんじゃないでしょうか。がんばって説明しますが、わかりにくかったらすみません。日本語学の専門家が身近にいらしたら聞いてみてください。

 

さて、「の」ときたら、①主格②連体修飾格③同格④準体法⑤比喩の5つです。覚えてますね?覚えてますよね?
①「うづみ火が」「残る」と考えるなら主格です。
②今でも使いますね。「私の帽子」の「の」が連体修飾格です。体言(名詞)にくっついて「私の帽子」と修飾する。
③同格。試験で迷ったらとりあえず同格と答えましょう。「の」の分類の中では一番難しく、試験に出したくなるところです。「Aであり、かつBでもある何か」を表す便利な(現代語にはない)用法です。「Aの、B~連体形」という形を見たら同格の「の」を疑ってください。見分け方はひとつ。「の」の下に連体形があるかどうかです。「うづみ火の明け行く空になほ残りける」だと、「A(うづみ火)の、B(明け行く空になほ残り)ける」になります。過去の助動詞「けり」の連体形がありますでしょ。訳すると、「うづみ火であって、かつ明け行く空の時間になってもやはり燃え残っている(うづみ火)」。さいごの名詞(うづみ火)が省略されているから直前の「ける」が連体形になります。連体形になっていることで、ここまでがひとかたまりの「うづみ火」の説明だと明示しているわけです。
④準体法。これも名詞の省略です。「私の帽子」と言えば連体修飾格ですが。「この帽子誰の?」「私の!」と言ったときの「私の」の「の」に「私の(帽子だよ)!」という意味がはいっていますね。これが準体法です。

 

では、「うづみ火の」の、「の」を主格と考えると最後の連体形はどう説明するのか。
これ、『源氏物語』の名ゼリフ「雀の子を犬君が逃がしつる」の、主格「犬君が」&連体形「つる」と同じ構造なのですが、学校でどう習いました? というのは、「日本語には本来主格を示す助詞はなく、「が」助詞の主格用法は(略)連体格用法から出たものと考えられる。従って古くは述語が終止形をとることはなく(日本国語大辞典)」という法則がありまして、平たくいうと、主格の「うづみ火の」、「犬君が」の述語となる言葉「残りける」「逃がしつる」は連体形になるという法則があるのです。
わたしが高校で習った明治書院の文法書には「「が」「の」が主語を示す場合、その述語は終止形にならず、他の文節を修飾し、下に続く」とあります。わたしが高校で教えた東京書籍の文法書には何とも書いてありません。みなさんのお手元の文法書ではどうなっているでしょうか? もしくは、現役の先生方はどう教えていらっしゃるでしょうか。

 

枕草子』の「紫だちたる雲の細くたなびきたる」はどっちで習いました? これも「の+連体形」の形であり、「紫がかった雲が細くたなびいている!」とも、「紫がかった雲で、細くたなびいている(雲)」とも解釈できます。おそらく「主格+連体止め」の方が主流だと思います。余談ですが、「紫が飼った蜘蛛」と漢字変換されました。雀から、蜘蛛へ。

 

で、連体形。ふつう、連体形が来たら4つの可能性を考えます。文法の教科書のかなりはじめのあたりに、用言の活用の用法が一覧になっていると思いますが。
①連体形の下に名詞(体言)があったら連体修飾法です。体言につながるから連体形。「残りけるうづみ火」という形であれば、「ける」は名詞の「うづみ火」にかかる連体修飾格ということになります。
②連体形の上に「は・も・こそ」以外の係助詞があったら係り結びです。「は・も」以外の係助詞はおぼえていますね?「ぞ・なむ・や・やは・か・かは・こそ」です。おぼえていましたよね?
③下に名詞がない。上に係助詞もない。となったら、準体法か連体止めです。①の下にあるべき名詞が省略されているのが準体法。体言に準じて連体法を使う方法です。「絵仏師良秀といふ、ありけり」は「絵仏師良秀といふ(やつ)、ありけり」の「やつ」が省略されています。
④下に名詞もなく、上に係助詞もなく、準体法でもなければ、それは感動を表す連体止めです。「うづみ火が、消え残っていたよ!」という早朝の、静かな喜び。

 

というわけで、主格「の」&連体止め「ける」のほうが感動があっていいんではないでしょうか。どういうわけかわからんかったという方は、上の説明と和歌本文と、お手元の文法書と古語辞典をフル活用してなんとか理解しようとしてください。わからない何かを理解しようと努力すること、それだけが人を成長させます。それでも理解できなければ、ななこの力不足です。すみません。

 

品詞分解

シク活用形容詞「うれし」連用形/係助詞/
うれしく/も/

名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「なる」連用形/
友/と/なり/

接続助詞/名詞/格助詞/カ行四段活用動詞「あけゆく」連体形/
つつ/うづみ火/の/明け行く/

名詞/格助詞/副詞/ラ行四段活用動詞「残る」連用形/
空/に/なほ/残り/

過去の助動詞「けり」連体形
ける