恋の和歌 雨のしずくが落ちるように、あなたを思い続けています ― 雨やまぬ軒の玉水かずしらず恋しき事のまさるころかな
人につかはしける
雨やまぬ軒の玉水かずしらず恋しき事のまさるころかな
(後撰和歌集・恋一・平兼盛/男性・578・10世紀)
現代語訳
(思いを寄せている)女性に贈った歌
雨がやまない(日の、私の家の)軒先から宝石のように透きとおった雨水が数えきれないほど落ちてきて、(その雨のしずくが落ちるようにとめどなく)あなたへの恋しさがまさる日々ですよ。
内容解説
「人に遣はしける」とありますから、女性のもとに贈った歌です。ちょうど雨の日だったのでしょう。「まさる」と言っていますから以前に好きだと伝えた相手だと思われます。前にも好きだと言ったけれど、どうだったんでしょう。その思いが「まさるころかな」と言えるあたり、それなりに脈のありそうな相手だと考えてよいのかもしれません。
この時代、電気をつかう照明器具はありません。雨の日に所在なく家に籠っていて暗い部屋の中で読書か何かしているのでしょうか、曇天に気持ちが乗らずとどこおりがちにふと手を止めて外を見ていると、地面に落ちる雨の音にまじってぱたぱたと軒にたまった水が絶え間なく落ちている。その水滴が玉のように透きとおってとってもきれいで、雨の日にこんなにきれいなしずくが見られるのかと、気持ちがふさぎがちだったことや恋のゆくえの悩みやらそういったあれこれが一瞬で洗い流されて、今ごろあの人は何をしてるんだろう? あなたは暇をもてあましているかもしれませんが、わたしは軒のしずくがとめどなく落ちるようにあなたを思い続けていますよ。
しずくの和歌
秋のもの思いそれぞれ ― 草木まで秋のあはれをしのべばや野にも山にも露こぼるらん
雪の玉水、緑の松の戸 ― 山ふかみ春ともしらぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
あやめの香る雨のしずくに ― 五月雨の空なつかしきたもとかな軒のあやめの香るしづくに
古典文法解説
Q 「雨やまぬ」の「ぬ」と、「かずしらず」の「ず」はどちらも打消の助動詞である。
A 覚えやすい活用形と覚えにくい活用形とあって、可能の「れ・れ・る・るる・るれ・れよ」あたりはラ行で統一されているけれど、打消の助動詞は「(ず)・ず・ず・ぬ・ね・○」という何のつながりがあるのかわからない活用で、おまけに「ざら・ざり・○・ざる・ざれ・ざれ」なんてのもついていてますますわけがわからない。
現代語に残っているのだと何でしょう。「飲まず食わず」とか「鳴かず飛ばず」とか「開かずの扉」とか、このあたりは打消の「ず」です。『沈まぬ太陽』、「ただならぬ様子」、「思わぬ収穫」の「ぬ」も打消です。「~ねばならない」、「武士は食わねど高楊枝」などに「ね」が残っています。
で、ですね。「ず」が打消であることはそんなに間違わないと思うのですが、「ぬ」と「ね」はわからなくなる。なぜなら完了の助動詞にも「ぬ」と「ね」があるからです。
『風とともに去りぬ』の「ぬ」は完了。『風立ちぬ』の「ぬ」も完了の「ぬ」。キャッチコピーの「生きねば」の「ね」は打消の「ね」です。「なせばなる、なさねばならぬ、何事も」の「ね」も「ぬ」も打消。
上に挙げた例、打消と完了である理由が全て説明できるという方はすばらしい。わからんという方は文法の教科書で完了の「ぬ」と打消の「ず」のページを開けてください。教科書の後ろのほうの、紛らわしい語の一覧、みたいなページでもよいです。見分け方はひとつ。上の言葉が未然形か、連用形か、です。上が未然形なら打消の助動詞。上が連用形なら完了の助動詞です。打消か完了かを問う問題は、上の言葉が未然形か連用形かを問う問題だと思ってください。
んーと、現代に残る完了の「ね」が何も思いつかない。『百人一首』にあった「玉の緒よ絶えなば絶えね」は完了の「ね」です。現代語にあったかな。あると思うのですが。
で、ここの「数知らず」の「ず」は連用形です。打消の「ず」は連用形と終止形が同じでこれまたわかりにくいのですが、これは連用中止法という用法です。いまでも「そうとは知らず、失礼しました」などと使いますね。「そうとは知らなくて、(それで、こんなことをしてしまい)失礼しました」という意味です。「数知らず」と「恋しきこと」の間も終止形できっぱり切れるのではなく、「数え切れなくて」それで、「恋しいという思いがその雨水のように途切れなく続いています」とふたつの文がつながっています。
品詞分解
名詞/格助詞/サ行四段活用動詞「つかはす」の連用形/
ひと/に/つかはし/
過去の助動詞「けり」の連体形/
ける/
名詞/マ行四段活用動詞「やむ」の未然形/打消の助動詞「ず」連体形/
雨/やま/ぬ/
名詞/格助詞/名詞/名詞/ラ行四段活用動詞「知る」の未然形/
軒/の/玉水/かず/しら/
打消の助動詞「ず」の連用形/シク活用の形容動詞「恋し」の連体形/
ず/恋しき/
名詞/格助詞/ラ行四段活用動詞「まさる」の連体形/名詞/終助詞
事/の/まさる/ころ/かな