秋の和歌 月の夜に、何を思い残すことがあるでしょうか ― ひとりゐて月を眺むる秋の夜はなにごとをかは思ひ残さん
ひとりゐて月を眺むる秋の夜はなにごとをかは思ひ残さん
(千載集・雑上・具平親王・983)
現代語訳
ひとり座って月を眺める秋の夜のもの思いには、いったい何を思い残すことがあるでしょうか(いや、あらゆる物思いをし尽くしてなお飽き足らないまま秋の夜は明けてしまうのです)。
内容解説
中秋の名月。こちらは時折、薄雲がかかるものの良い天気です。花についてまとめたように、月についても一連の話をしようかと思いながら、まとまらないままこの夜が来てしまいました。明日は満月。
「ひとりゐて」ひとり座ってという意味です。「思ひ残す」は現代語のような死ぬ前に思い残すことは~という意味ではなく、もの思いをしてなにか考え残すことは、という意味。ひとり座って静かに月を眺める秋の夜は、あれもこれも、あらゆるもの思いをし尽くして、いったい何を思い残すことがあるだろうか。いやもう何もないほどあれこれと思いをめぐらして、それでも思いが尽きる前に夜が明けてしまった。
これが太陽だったら、こうはいかなかったでしょう。太陽はあまりにも明るすぎる。秋の月の静かな面輪は何を物語るでもなく見る人をただ見つめ返して、今までのこと、これからのこと、仕事のこと、友人のこと、家族のこと、恋のこと、遊びのこと、政治のこと、季節のこと、死後のこと、世界の成り立ちに至るまでおよそあらゆることを思わせる。月は何には何か、人の心を動かすような不思議さがあります。
月は遠く手が届かないからこそ人が焦がれてやまない対象となり、それゆえ人にもの思いをさせ、それなのに何ひとつ手をさしのべもせずにただうつくしく輝いている。月はこの世のほかにある。下界のあれこれから、全てから切り離された清浄な空にあってただその静かな姿だけを人に見せる。秋の月はいわばきっかけであって、月によって引き起こされるもの思いこそが秋の持つ愁いであり、しかしその愁いを引き出したものは秋の月を措いてない。月によってもの思いをする人の姿を月は見つめているのでしょうか、目にも入っていないのでしょうか。秋の月がもの思いをしていないことだけは確かです。
ところで、試みにgoogleで「月」とひいたら約2,570,000,000件、「日」とひいたら約2,530,000,000件でした。「太陽」とひいたら約73,700,000件。ほとんどがノイズでしょうが、月の方が多いのは予想外、かな? やはり、かもしれない。
古典文法解説
Q 「居る」は「座っている」。「眺む」は「物思いにふける」
A 現代語の、単にそこにいる、遠くを眺めている、という意味ではありません。
Q 「かは」は係助詞。
A 一語で係助詞です。ですから文末の「ん」は連体形。「何事を思い残すだろう」に反語を添えますから、「何事を思い残すだろうか(いや、思い残さない)」と訳します。疑問か反語かの判断は、それぞれ訳してみてしっくり来る方を選ぶほかありません。
品詞分解
名詞/ワ行上一段活用動詞「居る」連用形/接続助詞/名詞/格助詞/
ひとり/ゐ/て/月/を/
マ行下二段活用動詞「ながむ」連体形/名詞/格助詞/名詞/接続助詞/
ながむる/秋/の/夜/は/
名詞/格助詞/係助詞/サ行四段活用動詞「思ひ残す」未然形/
なにごと/を/かは/思ひ残さ/
推量の助動詞「む」連体形
ん