和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

秋の和歌 実りに感謝 ― あしびきのいたくら山の峰までに積める刈り穂を見るがうれしさ

    板倉山のもとに、田にいねつむ、
         いとたかし、人あり、これを見る
あしびきのいたくら山の峰までに積める刈り穂を見るがうれしさ
         (江帥集・四尺屏風・359)

 

現代語訳

  板倉山のふもとに、田に稲を積みあげているようすが
  とても高く描かれていて、人も描かれていて、その人が稲を見ている
板倉山の頂上まで(そびえるほど)に積んである刈り穂を見ることのなんといううれしさよ。

 

内容解説

秋ですね。ごはんごはん! 炊きたてのあつあつも、海苔を巻いたおにぎりも、親子丼も、納豆&卵かけも、梅昆布も、めんたいこも、ご飯最高! 

 

という食欲全開の歌ではなくて、実りの季節に感謝する歌です。「四尺屏風」とあるので、実景ではなくて、板倉山が描かれた屏風があって、そのふもとに豊かな実りが山のいただきに届くほど高く積まれているところを見ている人の姿が描かれている。その人の気持ちに、絵に描かれた人の気持ちになって詠まれた歌です。今年もたくさんお米がとれたということは、季節が無事に巡っていること、世が安寧であること、人々が平穏であるということへの深い深い感謝です。

 

トラブルがないということはいいことです。ほんとうに。おいしいご飯が食べられるのもしあわせなことです。あめつちの恵みに感謝。梅昆布にも、めんたいこにも、感謝。

 

秋の和歌

月の夜に、何を思い残すことがあるでしょうか ― ひとりゐて月を眺むる秋の夜はなにごとをかは思ひ残さん

秋の色の、面影だけでも残るでしょうか - 心とめて草木の色もながめおかん面かげにだに秋や残ると

秋の月、水の輝き ― 石ばしる水のしら玉かず見えて清滝川にすめる月影

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夏の和歌 魂はどこへ ― うつせみの殻は木ごとにとどむれどたまのゆくへを見ぬぞかなしき

  からはぎ
空蝉の殻は木ごとにとどむれどたまのゆくへを見ぬぞかなしき
  (古今集・物名・読み人しらず・448・10世紀)

 

現代語訳

蝉のなきがらはその命を終えた木ごとに留まっているけれど、その魂のゆくえを見ることがないのは悲しいことだ。(あれほど力強く鳴いていた蝉たちの、その魂はいまどこにいるのだろう)。

 

内容解説

夏はむやみにせつないものです。特に夏の夕暮れの、また夏の終わりのころは何とも言えずさびしいものです。豊穣の夏が終わりゆっくりと季節が秋に向かってゆくなかで、あのうるさかった蝉が静かななきがらになっているのはもう何とも言えずかなしいものです。もう、秋と言うべきなのでしょうか。

 

蝉が脱皮した抜け殻と、蝉本体と、両方を空蝉といいますが、ここでは魂が抜けたといっていますから成虫の死骸です。物言わぬ蝉が命を終えたそのところどころの木にとどまって、うつろな目にさいごの夏空を映している。そのひとつひとつのなきがらの、たましいはどこにいったのだろう。なきがらという言葉のとおり、あれはたしかに「殻」にすぎなくて、生きていたそれ、人でもペットでも路傍の虫でも、生きていたそれそのものはもうそこにはいないという気がします。そう、たましいは、どこへいってしまったのでしょう。

 

ところでこの歌、詞書に「からはぎ」とあって、「からは木ごとに」の中に「からはぎ」という言葉を隠しています。このように歌の中にその歌の趣旨とは関係のない言葉を詠み込むことを「物名(もののな)」といいます。『日本国語大辞典』によると「からはぎ」とは「唐萩」という植物の種類か名前のことではないかと思われるがよくわからないとのこと。

 

夏の和歌

木の葉に雨がたたきつけられてセミの声が静かになる ― 蝉のこゑは風にみだれて吹きかへす楢の広葉に雨かかるなり

あの山のむこうも、もうきっと日が暮れている ― ひぐらしの鳴く山かげは暮れぬらむ夕日かかれる峰のしら雲

炎天下に風が止まるとどうしようもないよね ― 水無月の草もゆるがぬ日盛りに暑さぞしげる蝉のもろ声

 

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海の和歌 おみやげに貝殻を ― 家づとに貝を拾ふと沖へよりよせくる浪に衣手ぬれぬ

家づとに貝を拾ふと沖へよりよせくる浪に衣手ぬれぬ
    (風雅集・雑歌中・題しらず・読人しらず・一七一五)

現代語訳

おみやげに(と思って波打ち際の)貝を拾うとはるか遠くの海の沖から寄せてきた波に(わたしの)たもとが濡れました。

 

内容解説

春のゆくへも知らぬまに、と思っていたら夏まで過ぎてしまって、もうすぐ白露、朝夕の寒さに露の降りる季節になるのだそうです。

 

さて、夏休みも終盤、学校によってはもう新学期です。海へ行った方、山へ行った方、ごろごろごろごろ過ごした方、それぞれの夏休みだったでしょうか。新学期始まったら、おみやげ合戦になるのかな? 中高だと、勉強に関係のないものを持ってきてはいけないルールにひっかかったりするのでしょうか。大学だと初回のゼミがおやつまみれになるのでは。

 

夏の思い出というわけではないでしょうが、浜辺で貝殻を拾っている人の歌です。現代語訳するとあっさりした内容ですね。「家づと」でおみやげという意味です。奈良時代以降、福原遷都は別ですけれど、都は内陸にありますから、海はそれだけで旅情をかきたてられる場所なのです。浜辺に身をかがめて珍しい貝殻をひとつひとつ、家族の顔を思い浮かべながら拾い集める指のたもとに波が寄せてさらりとぬれる。見わたすと海は遠くはるか遠くどこまでも広がっていて、ずいぶん遠くに来たと思ったのに、海はまだずっと遠くまで続いていて。

 

ただ渡すだけではなくて、きっと貝を拾った海のようすを家族に伝えたかったのでしょう。生まれてこのかた海を見たことのない家族かもしれません。こんなところに行ってきたよ。ずっとずっと遠くの沖が波打ち際につながっていたよ。『万葉集』に「妹がため貝をひろふとちぬの海に濡れにし袖はほせどかわかず(1149)」という歌がありました。「君がため春の野にいでて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ」とも似たような詠み方です。あなたに喜んでほしくて、この貝を拾ってきたんだよ、と。

 

海の和歌

 

夕べの波間に舟がゆれる ― 夕潮のさすにまかせてみなと江のあしまにうかぶあまのすて舟

はるかな夏の海 ― 潮満てば野島が崎のさゆり葉に浪こす風の吹かぬ日ぞなき 

冬の夜に迷う ― 空や海月や氷とさよちどり雲より波にこゑ迷ふなり

 

 

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