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和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

五月雨の和歌 あやめの香る雨のしずくに ― 五月雨の空なつかしきたもとかな軒のあやめの香るしづくに

夏歌(Summer) 夏歌(Summer)-雨(Rain)
五月雨の空なつかしきたもとかな軒のあやめの香るしづくに
(拾玉集・秀歌百首草・夏十五首・慈円/男性・3087・12世紀)

 

現代語訳

五月雨の空に心ひかれる(までに香るわたしの袖の)袂であることよ。軒に葺いたあやめが香る(五月雨の雨とともにしたたりおちる)しずくに(濡れて)。

 

内容解説

「軒のあやめのかをるしずくに」なんて言葉つづきをどうやったら思いつくのでしょうか。五月の端午の節句にはあやめの葉の芳香を邪気払いとして軒にたくさん掛けるという伝統がありました。魔除け、厄除けです。いまでも5月5日に菖蒲をお風呂に入れることがありますね。軒をつたう五月雨にそのあやめの香りが染みついてしずくとともにしたたりおちて、湿る5月の空に一面の芳香が満ちる。そのしずくの一滴を袂に受けて、あの五月雨の空のなんと慕わしく心ひかれることよ。

 

どうやったら思いつくのかには手順があって、「軒のあやめのしずく」にはどうも元ネタがあるようです。たとえば『後拾遺集』夏の歌。五月雨が降り続いているので、軒に葺いたあやめからしずくが絶えることなく落ち続ける音がする。という歌です。長雨のうっとうしさ、つれづれなるままにあやめのしずくを数え続ける物憂い一日。
  宮内卿経長がかつらの山庄にてさみだれをよめる
つれづれと音たえせぬはさみだれの軒のあやめのしづくなりけり
     (後拾遺集・夏・橘俊綱・208・11世紀)

 

この憂鬱な長雨に、慈円は「五月雨の空なつかしきたもと」を重ねました。現代語の「昔のことがなつかしい」という意味ではありません。「なつかし」は昔のことではなく、いま離れている何かに「懐きたい/そばにいたい」という気持を表します。懐きたい対象はさまざまで、自然現象に対して使うことも多くあります。ここでは「五月雨の空をなつかしく思う袂」。空がなつかしいとはどういうことかと探してみると、やはり『後拾遺集』にありました。さきほどの『後拾遺集』歌が209ですから、6首あとにある歌です。ここではあやめでなくて花たちばな。
  はなたちばなをよめる
さみだれの空なつかしくにほふかな花橘に風や吹くらん
     (後拾遺集・夏・相模/女性・214・11世紀)
空に心がひかれる、という意味に解釈します。五月雨の空はうっとうしいものであっても、橘の香りが風によって運ばれてくると、その風が吹きおろしてくる空だというだけで心ひかれる。ただし、ここではまだ花橘の風を介して五月雨の空を「なつかし」と言っている。うっとうしい雨空そのものに心ひかれているわけではない。

 

この『後拾遺集』歌をもとにして、橘の花で似たような歌を詠んでいました。慈円本人が。ここでは雨に濡れて雨そのものを「なつかし」、その雨を降らせる五月雨の空を「なつかし」と言っている。憂鬱な五月雨の空が少しずつ美に近づいてきているのが伝わるでしょうか。
たちばなの花のしづくに袖ぬれて雨なつかしき五月雨の空
     (拾玉集・詠百首和歌・夏二十首・慈円・2987)

 

優れた歌が突然生まれるわけではなくて、こうやっていくつもの歌の上に秀歌が生まれる。『後拾遺集』208からはあやめにつたう雨のしずくを、『後拾遺集』214からは花橘の香りによって心ひかれる五月雨をひき、うっとうしいはずの五月雨の空に今までにない美しさを慈円は見いだしました。と、4首の歌を挙げましたが、やはりダントツで「軒のあやめの香るしづくに」が私の好みにはまる。「花のしづくに袖ぬれて雨なつかしき」もよいですが、ちょっと具体的に過ぎる。その点「空なつかしきたもと」には袂が濡れたという具体的記述は一切なく、そのぶんだけ空と袂の香りそのものに焦点が絞られている。あやめの香気が空からふりそそぐような、夏の雨の日。

 

正確には、旧暦と新暦は約一ヶ月ずれるので、「五月雨」は現在の新暦6月の梅雨を指す言葉です。正しい知識のある方には今日の掲載に違和感があるかもしれませんが、そのあたりは目をつぶっていただけると幸いです。この暦のずれはこれから先も当ブログにつきまとう問題ですが、もう何もかも目をつぶっていただけると幸甚でございます。

 

 

古文文法解説

―重要単語「なつかし」・格助詞「の」・「かをる」

 

Q 古文単語「なつかし」

A 内容解説でもお話ししたように、過去をなつかしむ意味ではありません。遠くに離れているものにたいして心ひかれるさまを言います。現代語と同じ言葉で意味が違うとついついテストに出したくなる教師心を想像してみてくださいね。

 

Q 「軒のあやめの香る」―主格「の」と連体修飾格の「の」

A 「軒のあやめが香る」と訳してください。「軒の」は連体修飾格の「の」です。「連休の終わり」「君のぬくもり」。まあ、なんでもよいですが。
「あやめの香る」は主格の「の」です。「あやめ」が主語であることを表します。「君の歩く道」「私の愛する2次元」。もう、なんでもよいですが。「君の歩く」は「君が歩く」の意味。「私の愛する」は「私が愛する」の意味で、主語を表します。「連休の終わり」とは用法が違うことだけわかっていただければ。

 

Q 「かをる」は嗅覚ですか。

A 視覚に用いないこともないですが、ほとんど嗅覚による美しさです。逆に「にほふ」はほとんどの場合視覚による美しさをさします。『源氏物語』宇治十帖に出てくる「薫大将」と「匂宮」はともに香りの美しさを指して使われていました。ところで、正しくは「かをる」です。「かほる」ではありません。「しをり」であって「しほり」ではない。英語と違って古語を書けという試験問題はあまりでませんが、本文を引用するときなど間違えないように注意してください。

 

品詞分解

名詞/格助詞/名詞/シク活用の形容動詞「なつかし」の連体形/
五月雨/の/空/なつかしき/

名詞/終助詞/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
たもと/かな/軒/の/あやめ/の/

ラ行四段活用動詞「香る」の連体形/名詞/格助詞
香る/しづく/に