和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

梅の和歌 夜の戸を開けたら、そこは梅の世界でした ―真木の戸をあけて夜深き梅が香に春のねざめをとふ人もがな

真木の戸をあけて夜深き梅が香に春のねざめをとふ人もがな
(続拾遺集・春上・題しらず・藻璧門院少将/女性・48・13世紀)

 

現代語訳

(ある春の晩にふと目が覚めて、何かに誘われるように外に出ようと)戸を開けると、そこはまっくらな夜の中、一面の梅の香に(満ちていました。夢ともうつつともつかないこの時間のことをいったい誰に話したらよいのでしょうか。)この春の寝覚めを(ともにこの世界をわかちあえる)人が訪ねてきてくれればいいのに(と、ただ願いながら立ち尽くしていたのです)。

 

内容解説

扉を開けるとか水をくぐるとか、異世界に行く方法はいくつかあって(あるの?)、この歌の「真木の戸」もひとつの幻想世界につながっている。夜のまだ深い時間帯、全ての人が眠りの中にいる静かな時間にふと目が覚めた。なぜ? もちろん、不思議な世界に入るからです。真夜中にたったひとり目が覚めるところから物語は始まる。目が覚めて床を抜け出して、まだ寒い季節です。何かに誘われるように冷たい床板をたどってそっと真木の戸を開ける。夢ともうつつともつかない世界。開けたとたん、春のまだ冷たい空気とともにまっくらな夜の底から梅の香がおしよせてきて、もうこの世のものとは思えないほどの空気に全身が包まれる。

 

去年の桜歌でもご紹介した躬恒がこんな歌を詠んでいます。夜の闇で梅の色は見えないけれど香りははっきりとわかる、という意味です。

 

春の夜の闇はあやなし梅のはな色こそ見えね香やはかくるる
       (古今集・春・凡河内躬恒/男性・41)

 

夜になると視界が利かないぶん梅の香りを強く感じるなんてことはもう昔から言われていて今更おどろくようなことではない。藻璧門院少将が驚いたのは戸を開けたとたんに本人も夢か現実かわからないほどの世界が広がったこと、戸を開けるという動作だけで世界が一変したことへの驚きです。和歌の「ねざめ」は眠りたいのに意識がはっきりして眠れない状態を指すこともあり、目覚めた直後の夢と現実のあわいのような、夢を思い出してまどろんでいる状態を指すこともあります。ここではどちらなのでしょう。本人ははっきり目を覚ましているつもりだけれど、でも夢ではないかしらと思うような状態なのではないでしょうか。夢か現実かわからないほどの梅の香に、この寝覚めを訪ねてきてこれは確かに現実ですよと言ってくれる人がいればいいのに。

 

その驚きを強調するのがこの歌の言葉の順序です。時間の順序としては、ふつうこうです。
「春の夜深い時間帯にねざめて、真木の戸を開けたら梅の香りがしてすてきだった。(この香りを理解して)訪ねてきてくれる人がいればいいのに。」これを突然「真木の戸を開けて」とはじめ、「夜深き梅が香」とひとつづきにつなげてしまう。戸を開けたとたんに歌の世界に引きずり込んで梅の香がたちのぼる世界に読者を置いてしまって、「春のねざめを訪う人」と読者に問いかける。倒置法と言って上の句と下の句で文の順序がひっくり返っていることはよくあります。でもこの歌のひっくり返し方はそんなレベルではない。

句切れも尋常ではない。ふつうは「真木の戸を/開けて夜深き/梅が香」です。この歌は違う。「真木の戸を開けて/夜深き梅が香に」です。あえて型を崩す。この藻璧門院少将、昨年の桜の歌群に挙げた弁内侍のお姉さんです。もうひとり末娘がいて、「みなよき歌よみなり(井蛙抄)」とたたえられた天才姉妹でした。

 

『井蛙抄』は歌論歌学集成(三弥生書店)から引用

 

花の和歌

露に濡れても ― 秋萩の咲き散る野辺の夕露に濡れつつ来ませ夜はふけぬとも

桜が散って、わたしはひとり取り残される ― ながらへて生けらばのちの春とだに契らぬさきに花の散りぬる

花の鏡となる水は ― 年をへて花の鏡となる水は散りかかるをや曇るといふらむ

 

 古典文法解説

Q もがな

 A 終助詞です。自分が~したい、という希望です。昨日ご紹介した「ばや」も自分が~したい、という希望を示す言葉です。信明が詠んだ「あたら夜の月と花とを同じくはあはれ知れらん人に見せばや」のように「ばや」は未然形につき、「もがな」は何にでもつきます。終助詞の「なむ」も希望を表しますが、「なむ」は他人に~してほしい、というときに使われます。

 

品詞分解

名詞/格助詞/名詞/格助詞/カ行下二段活用動詞「あく」連用形/
真木/の/戸/を/あけ/

接続助詞/ク活用形容詞「夜深し」連体形/名詞/格助詞/名詞/
て/夜深き/梅/が/香/

格助詞/名詞/格助詞/名詞/格助詞/
に/春/の/ねざめ/を/

ハ行四段活用動詞「とふ」連体形/名詞/終助詞
とふ/人/もがな