嘆きの和歌 言わなきゃよかった ― 思ふこと言はでぞただにやみぬべき我と等しき人しなければ
むかし、男、いかなりけることを思ひけるをりにかよめる。
思ふこと言はでぞただにやみぬべき我と等しき人しなければ
(『伊勢物語』一二四段/
引用元:新編日本古典文学全集 小学館)
現代語訳
むかし、ある男が、どんなことを思った時だったのだろうか、詠んだ(歌)
(心に)思うことは言わないでそのまま黙っていたほうがよいのだ。
(どうせこの世に)私と同じ(考えの)人などいないのだから。
内容解説
何があったのかわかりませんが、何かあったのでしょうか。つい昨今のことかもしれないし、過去のあれこれを思い出してのことかもしれません。自分の考えを述べたら否定されて、結局わかりあえないまま自分が悪いことにされた。もしくは鼻で笑われただけだった。あーあ言わなきゃよかった。
言わなきゃよかったと思う程度ならちょっとした失言を含めてよくあることなのでしょうが、どうせ私と同じ考えの人などいないと言い出すあたり、だいぶ投げやりに傷ついている感じがします。人間わかりあえないからこそ何だかんだとか、いろいろあるでしょうが、もういいよわかったよ、最初から私が言わなければよかったんだよ、ほっといてくれ。
『伊勢物語』の作者は在原業平で、主人公も在原業平ということになっていますが、どこまで公式でどこから後人が勝手に付け足したものなのかいまいちわかりません。業平は在原氏で、でも彼が生きた時代はあの藤原氏が政権を確立して、ほぼ決まりつつある時代で、業平の出る幕はなかった。業平だってがんばったんです。でも全てうまくいかなかった。
ところがこの男、女の子にはもてたんです。なにしろ美形だった。高貴な出自なのにしいたげられて、なのに美形で、もてる。もう2次創作にぴったりの人物です。影があって、こじらせていて、色気があって、まじめで、やさしくて、茶目っ気があって、心の奥底ですべてをあきらめている、日本古代史随一のキャラクターとして愛されたのでした。
伝わらない和歌
風邪をひいたのに彼氏が見舞いに来なかった話 ― 死出の山ふもとを見てぞ帰りにしつらき人よりまづ越えじとて
ああよくあることだよねー笑 っていわれる温度差 ― 言へば世のつねのこととや人は見む我はたぐひもあらじと思ふを
夢ならば、逢わなければよかった ― 夢よ夢恋しき人にあひ見すなさめてののちにわびしかりけり
古典文法解説
Q 「言はで」は打消接続で訳す。
A 接続助詞、というものがあります。上下の文をつなぐ、接続することばです。「言ふ」と「やみぬべし」を接続させていると考えてください。このとき、接続助詞「で」は上の文「言ふ」にくっついて、「言は」の形に変化させています。文法の教科書を見てください。後ろ表紙を開けたところに助詞一覧表があるのではないでしょうか。「で」は打消しの接続とありますね。打消し接続の「で」が「言ふ」にくっついていますから、「言ふ」を打消した上で接続させなくてはいけません。「言わないで」の形になります。下に続けて「言わないで、やめておく」。
ついでに、「やみぬべし」が「やみぬべき」になっているのは、係助詞の「ぞ」があるからです。なんで? 文法の教科書を見ましょう。係助詞「ぞ」のページです。
Q 強意の副助詞「し」
A これは、みわけにくいと思います。文法の教科書の、まぎらわしい語の一覧を見てください。サ変動詞と、過去の助動詞と、副助詞の「し」が載っていると思います。直前の言葉が名詞の「し」ですから、過去の助動詞ではないですね。サ変動詞だと「人をする」と訳さなくてはなりません。「人をする」では意味が通りませんから、「人はいない!」という強意の副助詞と解釈します。「し」の見分け方については、副助詞であることを証明するより、過去の助動詞でもサ変動詞でもないことを証明するほうがやりやすいと思います。
品詞分解
名詞/名詞/ナリ活用の形容動詞「いかなり」連用形/
むかし、/男、/いかなり/
過去の助動詞「けり」連体形/名詞/格助詞/
ける/こと/を/
ハ行四段活用動詞「思ふ」連用形/過去の助動詞「けり」連体形/
思ひ/ける/
名詞/格助詞/係助詞/マ行四段活用動詞「よむ」連体形/
をり/に/か/よめる。/
ハ行四段活用動詞「思ふ」連体形/名詞/
思ふ/こと/
ハ行四段活用動詞「言ふ」未然形/接続助詞/係助詞/副詞/
言は/で/ぞ/ただに/
マ行四段活用動詞「やむ」連用形/完了の助動詞「ぬ」終止形/
やみ/ぬ/
推量の助動詞「べし」連体形/名詞/格助詞/
べき/我/と/
シク活用の形容詞「ひとし」連体形/名詞/副助詞/
等しき/人/し/
ク活用の形容詞「なし」已然形/接続助詞
なけれ/ば