恋の和歌 わたしに逢えないなら死ぬ、ですって? ― いたづらにたびたび死ぬといふめれば逢ふには何を替へんとすらん
源さねあきら、たのむことなくは死ぬべしといへりければ
いたづらにたびたび死ぬといふめれば逢ふには何を替へんとすらん
(後撰和歌集・恋三・中務/女性・707・10世紀)
現代語訳
源信明が、「(中務に)逢えないなら死にたい」と言ってきたので、
(ふつうの方は「君に逢えるなら引き替えに死んでもいい」とおっしゃるものなのに、)あなたは口先だけで何度も「逢えないなら死にたい」とおっしゃっるようですけれど、では実際にお逢いする時には何を引き替えにするつもり?
内容解説
例の信明がですね、中務に「逢えないなら死にたい」と言ってきたそうです。こういうこと言うの、いつのことかと思えば10世紀。直接会ってはいませんから、手紙に書いてきたのでしょう。信明が中務に逢いたいと言ったけれど、中務が何かと理由をつけて逢ってくれない。あきらめずに逢いたいアピールを繰り返したけど一向に埒があかない。中務の事情はどうなんでしょう。忙しいのかもったいぶっているのかわかりませんが、ついに信明が「逢えないなら死にたい」と言い出したのだそうです。「死ぬべし」。「死にたい」でしょうか。「死んでしまうかもしれない」でしょうか。「死んでやる」でしょうか。「たびたび死ぬ」と歌にありますから、何度か「死ぬ死ぬ」と言ってみたのでしょう。それなのに逢ってくれない中務からこの歌が送られてきた。
「たのむこと」は願っていること、つまり中務に逢いたいという願いです。現代語とは違い、力あるものに頼るという意味が強い言葉。「なくは」は、それがかなわなかったならば。
その、「逢えないなら死ぬ」と言ってきた信明に対して、「逢う前に死んだら、何と引き替えにわたしと逢うつもり?」と中務。「逢ふには何をかへん」はあれです、逢えるならば死んでもいい、命と引き替えにしても逢いたい、という言い方をさしています。逢えないなら死ぬって、逢う前に死んで命がなくなってしまったら、何と引き替えに逢うつもり?死んだら逢えないじゃない。死ぬ死ぬなんて気安く言う人はあたし信用しないの。「いたづらに」は口先だけ、気安くいいかげんに、という意味です。たびたび「死ぬ」と言ってきたけれどまだ生きてるじゃないの。
いやいやいやいや、中務が逢わないというから、だったら死にたいと信明は言ったんです。そしたらば、何と引き替えにわたしと逢うつもり? あなたが死んだら逢えないじゃないの、わたしに逢いたいんじゃないの? 死んだらだめじゃないと言い出す中務。このね、さんざん逢えない逢わないと言っておいて、だったら死ぬといわれたらこの切り返し。まあ、死ぬ死ぬ言いだす信明も、どっちもどっちでしょうか。
信明の返歌はまた次回。
前回の中務―こちらもどうぞ
古典文法解説
ーなくは・べし・めれば・かへんとすらん
Q 「なくは」の品詞。
A 形容詞連用形「なく」+係助詞「は」でよいです。形容詞未然形「なく」+接続助詞「ば」の清音化、という説もあるそうですが、覚えなくてもよいです。形容詞の未然形は存在しないと習っていますし。
Q 「死ぬべし」の「死ぬ」
A 「つべし・ぬべし・てむ・なむ」の「つ」「ぬ」は「強意」と覚えて間違いはないのですが、「死ぬべし」「去ぬべし」は例外です。ナ変動詞「死ぬ・去ぬ」は、「死ぬ」までが一語です。品詞分解をするときには必ず前後の言葉のつじつまが取れるかを確認してください。「死ぬ」の活用は「死な・死に・死ぬ・死ぬる・死ぬれ・死ね」ですから「死」と「ぬ」を切り離すことはできません。「死ぬ」で一語と考え、その下に来る「べし」が終止形に接続できるかを調べます。できますね。
Q 「死ぬべし」の「べし」
A 推量の助動詞「べし」です。一人称なら「意志(~しよう)」、二人称なら「勧誘~したほうがよい)・命令(~せよ)」、三人称なら「推量(~だろう)」、場合によっては「可能」や「予定」などの訳もありました。ここは信明本人の一人称ですから「意志」ととり、「逢えないなら死にたい」、もしくは自分の命は自分でも思い通りにならないものとして三人称の「推量」でとり、「逢えないなら死にそうだ」がよいでしょうか。「死んでやる」くらいの勢いでしょうか。
Q 「めれば」
A 「めり」+「ば」です。助動詞「めり」。「推定(~ようだ/~らしい)」もしくは「婉曲」で訳します。「推定」は「推量(~だろう)」より確信の度が高い。文法の教科書を見てください。目の前にあることを「見あり」と言っていたのが「めり」になったと書かれています。「婉曲」は事実だとわかっているけれどオブラートに包む言い方です。「死ぬ」と信明本人が言ってきたのですから事実なのですが、「死ぬとおっしゃっているようですので」と婉曲に表現しているわけです。
Q 「替へんとすらん」
A さて、どう品詞分解しましょう。「替へ/ん/と/す/らん」です。「~とする」という形が入っているのがわかりますか。「替へん、と、する、らん」とおおざっぱに分けます。「替へる」という活用形はありませんから、「替へる」はさらに2語に分解できます。「替へ」で1語。「ん」で一語。「と」は現代語でも使います。「~しよう、と、する」の「と」です。「する、らん」の「する」は古語ではサ変動詞「す」です。「らん」は推量の助動詞。よく使う言葉です。
「ん」は「む」と書かれていることもある推量の助動詞です。一人称なら「意志」、二人称なら「勧誘」、三人称なら「推量」、連体形なら「婉曲(~のような)」でした。「べし」と似ていますが少し違います。信明本人の意志を問いますから、一人称の意志「替えよう」です。
「らん」も推量の助動詞です。ただの推量ではなくて「現在推量(~ているだろう)」、もしくは「現在の原因推量(~だから、~だろう)」です。
品詞分解
名詞/マ行四段活用動詞「たのむ」の連体形/名詞/
源さねあきら/たのむ/こと/
ク活用の形容詞「なし」の連用形/係助詞/
なく/は/
ナ変動詞「死ぬ」の終止形/推量の助動詞「べし」の終止形/
死ぬ/べし/
接続助詞/四段活用動詞「いふ」の已然形/
と/いへ/
完了の助動詞「り」の連用形/過去の助動詞「けり」の已然形/
り/けれ/
接続助詞
ば
ナリ活用の形容動詞「いたづらなり」の連用形/副詞/
いたづらに/たびたび/
ナ変動詞「死ぬ」の終止形/接続助詞/
死ぬ/と/
ハ行四段活用動詞「いふ」の終止形/推定の助動詞「めり」の已然形/
いふ/めれ/
接続助詞/ハ行四段活用動詞「あふ」の連体形/格助詞/係助詞/
ば/逢ふ/に/は/
名詞/格助詞/ハ行下二段活用動詞「かふ」の未然形
何/を/かへ/
推量の助動詞「む」の終止形/格助詞/サ変動詞「す」の終止形/
ん/と/す/
現在推量の助動詞「らむ」の終止形
らん