夏の和歌 夏、暑い、もう無理 ― いかにせん夏はくるしきものなれや衣かへても暑さまされば
いかにせん夏はくるしきものなれや衣かへても暑さまされば
(天喜四年四月九日或所歌合・作者不明・2)
現代語訳
どうしたらいいのでしょう。夏は苦しいものですよ。(涼しいはずの)夏服に着替えても(涼しくなるどころか)暑さがます(ばかりな)ので(もうあきらめるしかないです)。
内容解説
あついよー。あついよー。という歌です。ついに30度、きちゃいました。古語の「いかにせん」は「どうしたらいいのだろう」という表現ですが、この歌の場合ほとんどあきらめの境地をさしています。もうどうしようもない。汗だらだら。
古典の苦しみは失恋や人の死や孤独に限ったものではありません。夏の暑さだって十分人生の苦しみです。貴族の女性はすけすけの単衣をさらにはだけてやりすごしていたらしいですが、男性の夏服はどうだったんでしょう。衣をかえるといっているのは春服から夏服に着替えることです。汗をかいたから服を着替える意味ではありません。この時代の人たちはしきたりを重視しますから、春服から夏服に替える日にちも個人の体感温度では決められませんでした。不便ではありましょうけどひとりだけファッションを外して気まずいこともない点では楽だったのでしょうか。この歌が作られたのが旧暦の四月。現代の5月のころが更衣シーズンでした。
天喜四年、1056年のことです。「いかにせん」でいったん切れ、「夏はくるしきものなれや」でまた切れ、「衣かへても暑さまされば」でぶつっと終わる構成。もうちょっと技巧というか工夫というか何かなかったのかと思いますが、技巧を凝らす余裕もないほど暑かったんでしょうか。この時期から息も絶え絶えで、いささか心配。
苦しい和歌
逢うほどに苦しいから ― あひ見てはなぐさむやとぞ思ひしを名残しもこそ恋しかりけれ
あなたの影になりたい ― 恋すればわが身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ
いい事なんて、何ひとつなかった ― 待つことのあるとや人の思ふらん心にもあらでながらふる身を
古典文法解説
Q 「いかにせん」は反語ではない。
A 意味としては、「どうしたらいいのだろう、いやどうしようもない」ですが、現代語訳にそう書いてはいけません。また、「どうしたらいいのだろうか」と書いてもいけません。推量と疑問はつい一緒に使ってしまいがちですが、「いかにせん」の中には推量の「ん(む)」しかありません。疑問を表す言葉はどこにもありません。当然、反語の形で訳してもいけません。「~だろう」が推量、「~か」が疑問です。原文にない言葉を勢いで付け加えないでください。一点引きます。
Q 「なれや」にはふた通りの解釈がある。
A 断定の助動詞「なり」+詠嘆の間投助詞「や」と、断定の助動詞「なり」+疑問の係助詞「や」と。
詠嘆の間投助詞なら「~だなあ」となります。疑問の助動詞なら「苦しいのだろうか」、もしくは「苦しいものだろうか(いや苦しくはない)」となります。
といっても、「~なのだろうか!」などと疑問の形で詠嘆をあらわす場合もあって、同じ歌でも別の解釈がなされている例があります。特に比喩を用いた場合、「私の恋は○○なのだろうか!」など詠嘆だか疑問だかわからない。ただ、この歌では「夏は苦しいのだろうか?」では意味が通らないので詠嘆の間投助詞であると解釈しました。基本は疑問で訳しておいて、意味が通じなければ詠嘆で訳します。わたしは。
Q 「暑さまされば」は已然形+接続助詞である。
A もし「暑さまさらば」とあれば、「もし暑さが増すならば」と訳します。「暑さまされば」なので、「暑さが増すので」と訳します。文法の教科書を開いてください。開くページはわかりますね? 接続助詞「ば」のページです。「まさら」と「まされ」はどうちがうのか、まずは「まさる」の活用形から判断します。「まさる」の活用がわからない場合は古語辞典で「まさる」とひきます。何活用ですか? 「まさる」を活用させてみてください。活用形の表を埋めたことがありますね? それです。
さて、「まさら」と「まされ」は何活用でしょう。「まされ」と活用する形はふたつある。そうです。では「ば」は何形と何形に接続しますか? 文法の教科書で接続助詞「ば」のページを開いていますね? 接続する形によって意味が変わります。何形につくときはどう訳し、何形につくときはどう訳すのか確認してください。以上です。
品詞分解
副詞/サ変動詞「す」未然形/推量の助動詞「む」終止形/
いかに/せ/ん/
名詞/格助詞/シク活用形容詞「くるし」連体形/名詞/
夏/は/くるしき/もの/
断定の助動詞「なり」已然形/間投助詞/名詞/
なれ/や/衣/
ハ行下二段活用動詞「かふ」連用形/接続助詞/格助詞/
かへ/て/も/
名詞/ラ行四段活用動詞「まさる」已然形/接続助詞
暑さ/まされ/ば