和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

夏の和歌 あの山のむこうも、もうきっと日が暮れている ― ひぐらしの鳴く山かげは暮れぬらむ夕日かかれる峰のしら雲

ひぐらしの鳴く山かげは暮れぬらむ夕日かかれる峰のしら雲
  (内裏百番歌合・夏・藤原知家・70)

 

 現代語訳

ひぐらしの鳴く山陰は(もうそろそろ日が)暮れているようだ。夕日がかかっている峰の白雲(が茜いろに染まっているよ)。

 

内容解説

夏の夕暮れはよいものです。昼と夜との差が大きいからでしょうか。夜更かしの楽しみがあるからでしょうか。暑さが少しやわらいで日が沈むのをじっと見送るのもよいものです。夕暮れの影が長くのびて肌にあたる風の温度が少し下がってひぐらしのかなかなかな…と呼ぶ声が響く。

 

助動詞「らむ」について覚えていらっしゃるでしょうか。おもに4つの意味があります。現在推量、原因推量、伝聞、婉曲。
現在推量はいま自分の目の前にない何かを推し量って言う言葉です。~らむ、と言った対象は自分の目に入る範囲にはない。「~なんだろうな。」
原因推量はいま目の前にある何かの原因を推し量って言う言葉です。目の前にある対象が、そうなった原因をなぜだろうかと考える。「~はなぜ~なんだろう。」
伝聞は人から伝え聞いたこと。「~らしい。」
婉曲は遠回しに言う。「~なんじゃない?」

 

この歌の「らむ」は、原因を考えてるわけではありません。日が暮れるのに原因も何もない。人から伝え聞いた伝聞でもありませんし、遠回しな表現でもありません。つまりこの歌の言う「暮れ」はいま自分がいるところの時間帯ではないのです。ひぐらしが鳴いている山、夕日が赤く染め上げている峰の白雲のあたりはきっと暮れているのだろう。夕日がかかっているのだから、という感慨です。

 

まあ、ひぐらしの声が聞こえる範囲内が暮れていれば自分のいる場所も暮れていて当たり前ですから推量もなにもないのですが、そういうことではなくて、山のかなたのひぐらしのいるところに思いをはせて、あちらも夕暮れになっているのだろうかと詠んだ歌です。夏の夕暮れはどの季節よりも遅くて夏の日はゆっくりと沈む。暑かった太陽が山の向こうに隠れようとしていて雲があかね色にかがやいていて、ああ一日が終わろうとしているのだな、と。

 

夕暮れの和歌

夕べの波間に舟がゆれる ― 夕潮のさすにまかせてみなと江のあしまにうかぶあまのすて舟 

花の上に、かすかな夕日が沈んでゆく ― 花のうへにしばしうつろふ夕づく日いるともなしに影きえにけり

夏の夕暮れ、まどろみの時 ― 入り日さしひぐらしの音を聞くからにまだきねぶたき夏の夕暮れ 

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夏の和歌 木の葉に雨がたたきつけられてセミの声が静かになる ― 蝉のこゑは風にみだれて吹きかへす楢の広葉に雨かかるなり

蝉のこゑは風にみだれて吹きかへす楢の広葉に雨かかるなり
  (風雅集・夏歌・夏の歌の中に・二品法親王尊胤・419)

 

現代語訳

(真夏の日差しが照りつける中、急に吹き下ろした冷たい風に)蝉の声は風に乱れて吹き返される。(にわかに空がかき曇ったかと思うと)ナラの広く大きな葉に(夕立の)雨がたたきつけられる音が聞える。

 

内容解説

暑いですね。夏真っ盛り、セミ真っ盛りですね。実に元気。その蝉の声が夕立の風に吹き消されたと思うと大粒の雨音に変わる。暑さから一転冷たい夕立に変わるまでの動きを捉えた歌です。じりじりと灼きつける太陽にえんえんと続く蝉の声が、ふと吹き下ろした涼風に翻り、楢の葉もまた翻り、見上げた空がにわかにかき曇ったかと思うと大粒の雨が楢の葉に叩きつけられて、あれほどうるさかった蝉の声も止んでしまった。

 

夏の炎天下にふと強い風が吹いて楢の葉がひるがえる。これは誰でも思いつくでしょう。楢の葉は広いもの、夏の木陰を作るものだからです。しかしその風に蝉の声までもが煽られてひるがえったと、ここまでの発想はなかなかでてくるものではない。その風が雨を運び、音をたてて楢の葉に打ちつける。湿った夏のにおいが蝉の声をかき消してたちこめる。乱れて吹きかえすという風の強さとその後の雨、夏の夕立は激しいもの。蝉の声に満ちていた音の世界が風と雨に打ち消されて夕立に支配されるまでのあっというまの時間の動き。リアルを突き抜けたリアリティの世界。

 

ところで、実際に雨が降ると蝉は静かになりますね。あれはなんなのでしょう。雨音に負けると判断するのでしょうか。それとも発声器官が濡れると困るのでしょうか。

 

雨の和歌

恋は春の霞のように ― おもひあまりそなたの空をながむればかすみをわけて春雨ぞふる

雨の夜に生涯をふりかえる ― 夜もすがら涙も雨もふりにけり多くの夢の昔語りに

あやめの香る雨のしずくに ― 五月雨の空なつかしきたもとかな軒のあやめの香るしづくに

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夏の和歌 炎天下に風が止まるとどうしようもないよね ― 水無月の草もゆるがぬ日盛りに暑さぞしげる蝉のもろ声

水無月の草もゆるがぬ日盛りに暑さぞしげる蝉のもろ声
   (拾玉集・日吉百首和歌・夏十首・426)

 

現代語訳

6月の(猛暑のころに頼りの風も止んでしまって)草ひとつそよがない炎天下に(じりじりと)暑さを増してゆく蝉の声々。

 

内容解説

旧暦と新暦は1ヶ月ほどずれて、新暦7月24日の今日は旧暦6月21日にあたるのだそうです。ちょうどこの頃の歌ですね。炎天下の風も吹かない暑さです。この「草もゆるがぬ」が秀逸。こういう時間、ありますね。真夏の、風が止まる時間帯。草の葉すら揺れない。1㎜も風が動かない。ただじりじりと日が照りつける。クーラーも扇風機もない場所にいるとどうしようもないです。風が動くまでただ待つしかない。扇であおごうにも動いた瞬間に汗まみれ。負け。

 

その、風が動くか自分が動くかというにらみ合いの時間、息を詰めて風を待つ沈黙の時間にですね、蝉が大合唱しているわけです。暑苦しく。こっちは動けば汗、動かねば地獄というせめぎ合いだというのに。

 

風の和歌

風に吹かれて夏をすごす ― 永日すらながめて夏を過ぐすかな吹きくる風に身をまかせつつ

涼しさがうれしいのは夏だからだよね ― 蝉の鳴く木末を分けて吹く風に夏を忘れて夏にこそあへ

夏の納涼、ふたり連れ ― みそぎする賀茂の河風吹くらしも涼みにゆかん妹をともなひ

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