和歌ブログ [Japanese Waka]

国文系大学院生がひたすら和歌への愛を語る記録

夏の和歌 天使のはしごが露をつらぬく ― むら雲はなほ鳴る神のこゑながら夕日にまがふささがにの露

むら雲はなほ鳴る神のこゑながら夕日にまがふささがにの露
  (後鳥羽院御集・正治初度百首・夏十五首・32・12世紀)

 

現代語訳

(雨がやんでも空を覆う)群雲はなお雷の音を響かせていながら西の空は雲が切れて夕日(が射し込みその光そのもの)と見間違えそうなほど輝いている蜘蛛の糸の上の露。

 

内容解説

夕立の後でしょうか。頭上の空はまだ暗く灰色にかき曇りごろごろとうなるような雷の音が響いていて、でも西のほうは雲が晴れてあざやかな夕日の光がさしこんで、足下の蜘蛛の巣に点々と並ぶ露がきらきらと輝いている。

 

頭上の天気と遠くの天気が違うということ、滅多にないですがたまに遭遇するとわくわくします。曇っているのに切れ目から光が差していることを「angel's ladder」と言うのだそうです。「angel's ladder」や「天使のはしご」でGoogle検索したらたくさん画像がでてきました。とってもきれい。

 

「鳴る神」は雷、「ささがに」は蜘蛛、です。「ささがにの露」で蜘蛛の巣についた雨粒。ちょっと略しすぎ、かな。蜘蛛の巣に雨粒が並んでいてそのひとつひとつが夕日に照らされている様子です。雨が降っていたけど止んだ、とは表現されていませんが、群雲に雷ですから直前まで激しい雨が降っていて、でも今はおそらく止んでいて、その雨粒が蜘蛛の巣に並んでいる。雨は止んだけれど頭上は「群雲」、雲が群がって重なって灰色によどんでいて、「鳴神」ですから稲妻ではなくてごろごろという音。空は暗く空気は湿っていてまだ冷たい。そんな状態でありながら西の空は雲が切れて夕日の光がまだ薄暗い空の下の蜘蛛の巣に点々とつながる水滴をまっすぐにつらぬいて輝いている。若き後鳥羽院の、夏の一首。

 

この歌、『正治初度百首』といって後鳥羽院のかなり初学期に詠まれた歌です。かなり訂正もされていますし言葉の使い方がいまいちこなれていない点も多い。とはいえ、和歌を詠み始めて1年目くらいの超初心者がこんな自然現象の中でも最もうつくしいと言ってよい瞬間をこうまであざやかに切り取れるものかと思います。思いますが、天才はやっぱり天才なんでしょうか。

 

光の和歌

金の雲海、神話の春 ― 天の門の明くるけしきも静かにて雲居よりこそ春はたちけれ

もの思いの限りを尽くす秋 ― 木のまより洩り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり

空がゆっくり明るくなって、桜も紅に染まってゆく ― 時のまもえやは目かれむ桜花うつろふ山の春のあけぼの 

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夏の和歌 夏、暑い、もう無理 ― いかにせん夏はくるしきものなれや衣かへても暑さまされば

いかにせん夏はくるしきものなれや衣かへても暑さまされば
  (天喜四年四月九日或所歌合・作者不明・2)

 

現代語訳

どうしたらいいのでしょう。夏は苦しいものですよ。(涼しいはずの)夏服に着替えても(涼しくなるどころか)暑さがます(ばかりな)ので(もうあきらめるしかないです)。

 

内容解説

あついよー。あついよー。という歌です。ついに30度、きちゃいました。古語の「いかにせん」は「どうしたらいいのだろう」という表現ですが、この歌の場合ほとんどあきらめの境地をさしています。もうどうしようもない。汗だらだら。

 

古典の苦しみは失恋や人の死や孤独に限ったものではありません。夏の暑さだって十分人生の苦しみです。貴族の女性はすけすけの単衣をさらにはだけてやりすごしていたらしいですが、男性の夏服はどうだったんでしょう。衣をかえるといっているのは春服から夏服に着替えることです。汗をかいたから服を着替える意味ではありません。この時代の人たちはしきたりを重視しますから、春服から夏服に替える日にちも個人の体感温度では決められませんでした。不便ではありましょうけどひとりだけファッションを外して気まずいこともない点では楽だったのでしょうか。この歌が作られたのが旧暦の四月。現代の5月のころが更衣シーズンでした。

 

天喜四年、1056年のことです。「いかにせん」でいったん切れ、「夏はくるしきものなれや」でまた切れ、「衣かへても暑さまされば」でぶつっと終わる構成。もうちょっと技巧というか工夫というか何かなかったのかと思いますが、技巧を凝らす余裕もないほど暑かったんでしょうか。この時期から息も絶え絶えで、いささか心配。

 

苦しい和歌

逢うほどに苦しいから ― あひ見てはなぐさむやとぞ思ひしを名残しもこそ恋しかりけれ

あなたの影になりたい ― 恋すればわが身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ

いい事なんて、何ひとつなかった ― 待つことのあるとや人の思ふらん心にもあらでながらふる身を

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海の和歌 夕べの波間に舟がゆれる ― 夕潮のさすにまかせてみなと江のあしまにうかぶあまのすて舟

夕潮のさすにまかせてみなと江の葦間にうかぶあまのすて舟
   (玉葉集・雑二・題しらず・藤原頼景・2104)

 

現代語訳

夕べの潮が満ちるにまかせて港の葦の間に浮かんでいる海士の捨て舟。

 

内容解説

夕べの海の情景です。おだやかな、静かな波間に夕方の光がみちて、潮があたりをひたしてゆく。いつから捨てられているのでしょうか、ともづなで結わえられていない古い舟が潮の満ちるまま風の吹くままにゆれ、波はちらちらと夕日をうつし舟のまわりに波紋が丸く広がってゆく。

 

古ぼけた舟でしょう。漁師の舟ですからさほど大きなものではない。それでも昔はたくさんの貝や魚や海藻をあふれるほどに積んでいた。大漁の日も、寂しい日もあったでしょう。海が荒れて厳しい日に無理をしたことがあったかもしれません。いくつものぶつけた跡、削れた跡、ひび割れた跡があって、でもそれはずっと昔のことで、今はただ静かに朽ちて海の底へ帰る日を待っている。それも遠い先のことではない。そのつかの間の休息の時間を金色の夕日が照らしだしている。

 

印象派の絵画のような、夕暮れの一枚。 

 

水の上の和歌

花の鏡となる水は ― 年をへて花の鏡となる水は散りかかるをや曇るといふらむ

はるかな夏の海 ― 潮満てば野島が崎のさゆり葉に浪こす風の吹かぬ日ぞなき

夜の清水に月が映る ― さらぬだに光涼しき夏の夜の月を清水にやどしてぞみる 

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